46の短編小説を読んだ。最高によかったのは…。

2006年10月02日

 創刊60周年を迎えた文芸雑誌「群像」10月号=写真下=が、記念の短編特集をやっていて、46篇が掲載されている。

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(写真をクリック)

 日本を代表する純文学作家たちの語り口は、どのように進化しているのであろうか?
 それが知りたくて、一週間費やして全篇を読んだ。

 長さはいずれも原稿用紙(400字詰め)30枚分前後である。

 これだな、と感じる作品に出会えたのは、読み始めて38篇目だった。
 角田光代「父のボール」。
 DV(domestic violence=家庭内暴力)を重ねて家族の上に君臨し、ひどい目に会わせ、妻を早死にさせてしまった父が、いま、末期ガンで死の床にいる。
 父の暴力を逃れて18歳で家を出て、働きながら大学を卒業した長女の私は、父のベッドの脇で、看取っているのである。弟もいるが、現れない。

 父のボールとは、
 坂の途中にある家に住んだ父が、「不幸は坂を転がってくるボール玉である」と信じた、そのボール。
 例えば、坂の上の方にある家に不幸があると、その不幸は、半年以内にボールになって転がり、下の家に伝播する、と父は信じていた。
 父の世話をする娘を、主治医や看護婦たちは、親孝行で感心だ、と思っているようだ。だが本人は、父が死んだら「ばんざい」と叫ぶつもりでいるのだ…。
 という、そんな話である。

 結末部分で、角田は、心の深みにあるものを見せてくれる。そして、揺らがせてくれた。

 46篇を最初から順に読んだ訳ではない。任意に選びながら読んで38篇目に「父のボール」にたどり着いた。

 2番目に良かったのは、
 桐野夏生「幻視心母」。
 ゴルフ場で脳梗塞で倒れた母を病院に見舞って、大嫌いな妹に久しぶりに会うことになる。
 姉は、コラムを書くフリーライターで、担当するコラムが最近有名になっている。
 妹はああいう性格だから、さぞかし不幸な境遇にあるだろう、やさしく接してやろうと思っていたら、
 最近、クワ・マリーという名で、
「 日本人かハーフか?」
 と話題になっている、小説家だった。妹は。
 という話。

 「この十年間、まったく違う妹像に水や肥料をやり、せっせと育て上げていた自分は何だったのか。マリの幻影に苦しめられていた自分が、途轍もなく小さく、馬鹿な人間に思えて仕方がない」
 と、書いている。

 人ってえものは、自分の都合のいいように世界を解釈して、自分の小さな穴の中で自分を慰めながら生きてるんだよな、ああ…。
 と、人間の愚かさに改めて気付かせられるいい作品。

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(写真をクリック)

 3番目は、
辻原登「母、断章」。
 県会議員になったばかりの父と分かれる決意を固めた母が、旅先の旅館の前の川で、皆が寝静まった頃、全裸で泳ぐ。隣部屋の泊まり客がそれに気づき、
 「人魚だ!」と目を見張る。
 一方、わたしは、蒸気機関車の煙をかぶって目に入った石炭殻が取れなくてずっと片眼で…、
 という話。

 あとは順位をつけずに報告すると、
 松浦寿輝「地下」は、死なずに生き残り、刑務所から30年後に、平岡(三島由紀夫)が出てきたら、きっとこんな生活を送っているだろう、と書く。

 吉村萬壱「イナセ一戸建て」は、力のこもった私小説風リアリズム小説。
 島本理生「Birthday」は、娘が父母のことを見ているんだが、
 実は、この娘は殺された後の魂で、中空に漂って両親を見ているのだ、という設定が、
 後の方で分かるという、意外性を楽しませるつくり。

 坂上弘「薄暮」は、道半ばで自殺した在日の作家、故金鶴泳に託して、小説家としての決意を語る。これは私小説といっていいだろう。

 笙野頼子「この街に、妻がいる」、多和田葉子「晴れたふたりの縞模様」は、抽象画に似た味わいがあって、引きつけられた。
 藤野千夜「願い」、堀江敏幸「方向指示」も、detailにプロの技がある。

 46篇中、いい作品だなと思って赤ペンで印を付けたのは13篇。3分の1以上の割合だった。
 これは高いのか低いのか?

posted by Jiraux at 22:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | news 日々憤怒
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