判決(罪名 殺人および殺人幇助)
無期懲役 井上 昭 (48)=日召
懲役15年 古内 栄司(33)
懲役15年 四元 義隆(26)
懲役 8年 池袋正八郎(29)
懲役 6年 久木田祐弘(24)
懲役 6年 須田 太郎(26)
懲役 6年 田中 邦雄(25)
懲役 6年 田倉 利之(26)
懲役 4年 星子 毅(26)
懲役 4年 森 憲二(23)
無期懲役 小沼 正(23)
無期懲役 菱沼 五郎(22)
懲役 4年 黒澤 大二(24)
懲役 3年 伊藤 廣(46)
(有期懲役の古内はじめ11被告に対し、刑法第21条により未決勾留500日をそれぞれ通算す)
井上準之助・元蔵相、三井合名理事長、團琢磨・男爵を暗殺した血盟団事件の大詰め、判決言い渡しが、
1934年(昭和9)11月22日、東京地裁であった。
5.15事件の陸海軍被告、民間の従犯関係者の判決があった後だけに、14被告の量刑が注目されていて、
午前8時の傍聴券の受け付けは、徹夜した人々90人に渡り、ほかの傍聴希望者は廷内に入ることは出来なかった。
満廷の傍聴人たちが、固唾(かたず)を飲んで待つうち、
午前9時15分に藤井裁判長が入廷。
続いて、同35分、井上・元蔵相の暗殺者、小沼正を先頭に、14被告が続いて着席、
藤井裁判長は同36分、開廷を厳かに宣言した。
歴史的公判だった。
記事には、こう書いてある。
裁判長は、
起立する14被告に対して、とくに着席を許し、
苦心の判決理由書を約2時間かけてじゅんじゅんと読み聞かせ、
厳然とした態度で、判決主文を言い渡した。
理由書の朗読は、まづ、井上日召の経歴思想から始まった。
「被告人井上日召は医師たる父、好人の教育、感化と環境の影響を受け、早くより報国任侠の精神を養い、長ずるに及んで、漸次、自己の本体の何者なるやに関し、疑惑を抱き、師長に教えを乞いたるも、満足するものなく……」
と、読み上げると、
日召は居ずまいをただして律然として聞き入り、満廷、粛として、咳をする者もなかった。
裁判長はさらに、日召が渡支中に宇宙、人生などについて深刻な疑雲に包まれて、大正9年(1920)、帰国してから、静岡県原町の松蔭寺(しょういんじ)の山本玄峰和尚について、日蓮宗の行者になり、あるいは、木島完之の指導を受け、最後に、
人間は、差別相においては分離対立するものではあるが、無差別相においては、我は宇宙と一致し、大我の道は、大衆と苦楽をともにする道であり、同時にそれは菩薩の道である、
と悟った経緯を朗々と読み上げれば、
日召は、いかにも自己を知ってもらえたと喜ぶかのように、静かに頭を下げた。
こうして、日召は、
茨城県大洗海岸ドンドン山での修行と、反ロンドン条約、ならびに政党財閥、特権階級打倒思想の台頭、
そして、
たんなる口舌の徒の多い、ないし、扇動家の多いのを見て憤然とし、
国家革新の実行的同志を糾合する計画を立て、
いわゆる血盟団茨城青年組を集めた点から転じて、
古内、小沼、菱沼らの経歴、思想などについて詳論。
四元、久木田らをはじめ、学生組被告らが、
学生左傾に憤慨し、あるいは、陸軍の菅波三郎中尉の感化などにより、日召の思想に共鳴することになった事情を述べ、各被告の結合関係に及んだ。
藤井裁判長は、膀胱結石がまだ直らない田倉利之の体を心配して、この時、朗読をしばらく止め、被告を休憩させるという思いやりを示した。
午前11時から、いよいよ事実関係の朗読に入り、
日召が、海軍の故藤井斉少佐から5.15事件の三上卓中尉が送付したピストル8丁と、実弾を入手して、暗殺すべき人物を、犬養、床次、鈴木(以上、政友会)、若槻、井上、幣原(以上、民政党)、池田、團(以上、三井)、各務、木村(以上、三菱)、西園寺、牧野、伊東、徳川(家達公)=以上、特権階級、
と定め、このほかに、安田、大倉、住友3財閥の代表者各1人をも目標にした点に入ると、
傍聴者の中に、今更ながら嘆息を漏らす人々もいた。
こうして、井上、團を小沼、菱沼の2人が暗殺した点から、伊藤が古内、菱沼らをかくまって、これらの殺人を助けた点を述べ、
11時15分から、約3分間、証拠論ならびに法の適用を述べ、
同20分、それぞれ、検事の求刑より遙かに軽く、
1人の死刑なく、判決を言い渡した。
日召ら 死刑免れる 1人1殺 48 | 2006年08月18日 |
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