1932年(昭和7年)3月へ時間を戻す。
血盟団事件の捜査が進んでいた頃だ。
3月19日付けの新聞に、次の記事がある。
これで、警視庁に留置中の被疑者は全部で11名に達し、小沼を加えると一味12名となるが、嫌疑者はなおこのほかにもあるらしい。東京地方検事局では、この恐るべき
大暗殺団の処置について宮城検事正、棚町次席、木内主任検事らが協議の結果、18日に至りこの一味を全部暗殺団とみて、暗殺を決行しなかった者および単に暗殺を教唆幇助した者でも共犯関係さえ明らかとなれば、全部共同正犯として殺人の一罪で起訴し、公判で刑の量定に多少の軽重をつける事に大方針を決定した。
この記事の左に、次の3段見出しが立てられている=写真上。
「暗殺の指令は
全部自分が出した」
全責を負う気の日召
1932年3月18日、つまり、團琢磨暗殺(3月5日)から13日後に、初めて、
井上日召は、
「暗殺の計画と指令は全部自分が出したのだ」
と、認める自白をした。
その部分の記事を引用してみる。
「警視庁で取調中の井上日召は、小沼、古内らの自白によって一味徒党の正体並びに計画が暴露し、加盟者が続々検挙されるに至り、顧問格の権藤その他に累を及ぼさず自分が全責任を負わんと観念したものの如く、18日に至り重大な自白をした。すなわち、
暗殺の計画と指令は全部自分が出したのだ
と頑張り、捜査当局を極度に緊張せしめた。」
「全員が共同正犯」の方針は、3月24日の東京地方検事局の会議で確認された。つまり、
血盟団によるこの事件は、
内乱罪とせず、一味を単なる殺人団と見て、
井上日召以下12名を殺人の共同正犯で起訴する心組である。
捜査は、24日の段階で一段落したが、
「依然として資金関係が明瞭とならない」と書いている。
彼らが暗殺しようとしてリストに載せた名士は約20名の多数に上り、
種類は特権階級、政民両党の領袖連、財閥の
3種類に分けられており、政党人では、
犬養首相等も数えられ、
財閥関係は、三井、三菱、住友のほか、具体的計画まではいっていなかったが、
大倉、安田もリストに加えられ、いわゆる5大財閥全部を倒す計画であったことなども判明した由で、
当局も、その計画のあまりに大きく、根強いのに驚いている。
と書いている。
記事によると、検事局が殺人およびその共同正犯で起訴することに内偵した12人は以下の通り=写真上。
井上日召、古内英司、菱沼五郎、黒澤大二、田倉利之、田中邦雄、池袋正八郎、四元義隆、久木田祐弘、須田太郎、森憲二、星子毅
(2月9日に井上準之助を暗殺した小沼については、この段階では既に起訴を決定していたようだ)
13人を殺人で起訴へ 一人一殺 23 | 2006年06月25日 |
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この私の言葉を多くの者が笑い、色々と言うと思う。
しかし、彼らのその言葉は私の意志の前にただの戯言に成る。