東京地検の厳しい調べにもかかわらず1ヶ月以上も落ちなかったが、
逮捕されて36日目の3月16日夜に、拘留中の市ヶ谷刑務所で、やっと自供を始めた、
と記事に出ている。
團琢磨・男爵暗殺の菱沼ら4人の行動隊の逮捕、井上日召、古内英司の逮捕を、検事が小沼に告げたら、
小沼が「流石にがく然として色を失い、急に今日までの陳述をひるがえし、この結果、共犯嫌疑の有無について多分の疑問があった井上日召に重大な嫌疑がかけられるに至った」
と書いている。
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井上日召に、2つの暗殺事件との共犯関係があるのかどうか?
日召が、3月11日に自首して拘留されて以来、16日夜まで、検事局も判断がつきかねていたらしい。
しかし、小沼の供述で、井上準之助・前蔵相暗殺に使ったブローニングは、日召から手渡されたらしいことが浮かび上がって来た。
記事にはこう書かれている。
「日召に迷惑をかけまいと、ピストル授受関係は藤井少佐と自分との2人だけの如く供述してきたが、今回日召自首を耳にして遂に日召がピストル授受の仲介者であった事まで自白したとも考えられる」
記事は、いちおう、推測のニュアンスで書かれているが、
後で、日召が書いたものなどから判断すれば、この時点で小沼が自供したと考えても差し支えないのではないか。
検事局が小沼の自白が始まるのを待っていたのは、
血盟団副頭領格の古内英司が、菱沼、黒澤、田倉、田中の4人にピストルを渡したが、小沼には渡していないと言っていたためだった。
「小沼は一味の中では相当頭株の人物で古内と対等の地位にあったらしいことなどからすれば、小沼が古内からピストルを渡されるはずなく、むしろ藤井少佐からピストルを受けたのは井上日召で、小沼は日召から直接、古内は日召から受けて菱沼ら4名に渡したとも考えられる」
と記事にある。
この結果、
「日召を被疑者扱いすることを今日までちゅうちょしていた検事局は、小沼の今回の陳述こそ真相を伝えたのではないかとすこぶる意気込み、日召に対して殺人共同正犯の重大な嫌疑をかけ徹底的取り調べをなす事となった」
「血盟団」など、「ファッショ団体」の数だが、
警視庁の調べによると、1932年(昭和7)3月16日現在で、東京だけで150団体あった。会員は、全国を通じて50万人だった。
「さしあたって、東京在住者の首脳部を徹底的に調査し、全国にわたって会員の動静、本部との連絡関係に至るまで一糸乱れぬ調査をなす一方、極左方面の内偵は一層堅実にし、一歩も進出させぬ対策を取り、この不安な世相を一掃することになった」
と記事には書かれている。
しかしこれら政府の真面目そうな姿勢は、口で言うだけ、ポーズだけの、きれい事に過ぎなかった。
この「血盟団事件」に呼応して起きた、
5.15事件から、2.26事件の時代にいたるまで、民間を含む右翼の活動にはいっそう拍車がかかり、
これらの民間右翼団体の動きが後押しをする展開になって、
軍国主義の暗闇の時代に突き進むのだ。
