「最近はどーも油断がなりませんなぁ。志ん朝さん、飲みに行きましょうって誘われて、おや粋なお客さんだねぇ、へいどうもありがとうございますってーんで、にこにこしてついて行くとぅ…、お開きん時にワリカンなんてえ恐ろしいことになっちゃう。ねぇ……」
「おれの高座が終わるまでは帰さねえ」
ってえ、気迫がびんびん来て、
俺は、釣り人のでっかい魚鉤で、肩んところをグサッと引っかけられた水際の魚のような気分になっちまって、
左の座席上のバッグに物を仕舞う、帰り支度の手を止めて、志ん朝に向き直っちまったんだった。志ん朝は、話してる最中におれが帰ろうとしてることを、つかんだんだね。高座の上から。
故古今亭志ん朝
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あれは、1992年。
4月ごろじゃなかったか。
新宿末広亭の昼席だった。平日の4時過ぎだったせいか、客席は2割ぐらいの入り。
おれは、4時半に、新宿3丁目交差点の伊勢丹の角で人に会う約束をしてて、時間を潰すために末広亭に入り、左列の座席の前から5列目ぐらいに座っていたのだった。
志ん朝は、おれの方へ向けて、ぽんぽんぽーんと畳みかけるような感じで語り続ける。立つわけにゃいかなかった。志ん朝にすまねえな、立ったら、と思っちまって。
古典だったが、何の話だったか覚えちゃいない。帰心にせかれてるのに志ん朝につかまっちゃって、まともに聴いちゃいなかったからだ。
志ん朝は、やがて語り終えると、客席に辞儀をするや、さっと風を巻くように、羽織を引いて楽屋に去った。
去り際のその鮮やかさが、いまも目に残っている。
もうひとつは、死ぬ年の2001年のたしか4月上席の夜席。池袋演芸場だ。
直前に、文科大臣ナントカ奨励賞をもらったのを記念してやった芝居だった。おれは10夜のうち5夜行った。
100席弱の池袋演芸場は、連夜超満員。通路までぎっしりと客が座ってた。おれは、仕事を終えてから行ったんで、もちろん通路に座った。
1番印象深かったのは、「付き馬」、その次に「船徳」。後は覚えちゃいない。
しかし、今思うと、
「志ん朝と同時代を生きる幸せ」なんてぇ、
漱石が、三代目小さんを褒めて小説「三四郎」ン中で書いたような、脳天気な賞賛は出来ない気がするんだなぁ。
なぜかってーと、
志ん朝は、客を信じてなかった。
聴いてて、それが伝わって来た。
例えば、「付き馬」では、昔の吉原のシステム、そして金が払えなくなった客から金を回収するために、翌朝、女郎屋の主人がギウタロウを客につけて家まで送って行くなんてーことを手に取るように説明した。
この説明が、やっぱ平板で退屈で、白けちゃった。
視点を変えれば、客に迎合してたってぇことになるんじゃないか。
その点、とうちゃんの志ん生は、説明をはしょってる。
わかんねー奴ぁ、置いてくゾってぇ、気概があった。
CDを聴いてみると、「付き馬」にしても「柳田格之進」にしても、とうちゃんの方が10分から15分は短い。
説明は退屈だから、いらねーんだよう、ってぇ、
きっぱりした心の姿が見えるんだよね。
志ん生が高座に上がった時代は、まあ、1966年ぐらいまでで、吉原にしてもなんにしても、古い仕組みを知ってる人がたくさんいたわけで、
とうちゃんの方が、時代に味方されてたんだがね。
おれにとっての志ん朝といえば、
1992年のあの時の姿だ。
「俺の高座じゃぁ、客は帰さねえ」ってえ、あの気迫が、
おれの心に、温かい余韻として残ってる。
プロの神髄を見たんだなあ。
