news 日々憤怒 - 2006年08月

「新聞は支配階級のもの」と日召  一人一殺 50

2006年08月29日

 言論機関は
すべて支配階級の掌握するところなるのみならず、
言論等の合法手段によりては、彼らに何らの痛痒を感ぜしめ得ざるをもって、

 被告人ら同志において、自ら支配階級覚醒のため、
非合法手段に訴え、
現状打破に従事し、
もって革命の捨て石たらんと決意し…


 1934年(昭和9)11月22日、
東京地裁であった血盟団暗殺事件の判決言い渡しで藤井裁判長が読み上げた判決理由の中に、
 井上準之助・團琢磨暗殺が起きた74年前(昭和7年)の
言論機関、
 すなわち新聞に対する井上日召の考えが示されている。

血盟団 顔一覧 6.27用.jpg
(写真をクリック)

 「言論機関はすべて支配階級の掌握するところ」

 「言論等の合法手段によりては、彼らに何らの痛痒を感ぜしめ得ざるをもって…」

 翻訳すると、

 すべての言論機関は、支配階級に掌握されている。
 だから新聞・ラジオ(当時、テレビはなかった)は、支配階級が困るようなことは書かない。

 だから、

 腐敗した政財界の改革が必要なことを、
国民に、言論という合法手段でいくら訴えたって、
支配階級・特権階級の人々は痛くもかゆくもない。

 改革も出来ない。

 だから私たちは、
 暗殺という非合法手段をとって、
国民に社会改革の必要に気づいてもらうため、
捨て石になろうと決めた、
 というのだ。

 日召ら、血盟団の被告たちは、
政財界・支配階級の大物たちの暗殺のニュースが与える衝撃、
それにつづく裁判での発言を通じて、

 新聞記者たちをはじめ衆人環視の中で、
政財界の腐敗を明らかにし、

 その解決が必要なことを訴えるため、
捨て石(犠牲)になる決意だった。

 目的はそれ以外になかった。

 血盟団被告14人に対する公判は、
東京地裁で計91回開かれた。

 公判では、日召ら被告たちが一人一殺のテロルに駆り立てられた背景の事情が詳しく示された。

 日召らが把握していた、
政財界・支配階級の腐敗の実情が示されると、

 日召らが暗殺へと駆り立てられた、やむにやまれぬいきさつがやがて広く理解された。

 14被告への同情が広がり、
助命嘆願書が、全国の30万人以上の人々から東京地裁に寄せられた。

 藤井裁判長が、
判決言い渡し後の発言の中で思わず泣き出したのは、

 助命嘆願書を出した30万人と同じような思いにとらわれていたのかもしれない。

 「言論機関はすべて支配階級の掌握するところ」
という日召の判断は的確だった。
今も変わらない。

 筆者はそう思う。

 現代の支配階級とは、

 毎年何千億円もの広告費を、
新聞・テレビ・ラジオ・インターネットなどに注ぎ込む大会社や、
 テレビ・ラジオ放送の許認可権を握る政府・自民党の政治家・役人、
ついで衆参両院の国会議員、マスコミに登場する有名人など。

 それにメディアや広告会社なども当然加えられる、

と考えていいだろう(ほかにもあるがきりがない)。

チルドレンな日本=本表紙.jpg
(写真をクリック)

 最近、
「チルドレンな日本」(香山リカ、佐高信著=2006年7月1日、七つ森書館発行 ¥1400)=写真上=の中に、
次のようなやりとりを見つけた。

佐高 ……トヨタ自動車は大スポンサーですから、テレビも新聞もトヨタを批判することはできません。批判できるのは「週刊金曜日」くらいなんです(笑い)。

 木村拓哉がレーサー役で主演していた「プライド」(フジテレビ、2005年)というトヨタがスポンサーとなっているドラマがあるんです。レーサーだから当然レースに出るはずなんですが、そのドラマにはレースの場面がないんです。

レースをやるといろんな車が一緒に走るので、ほかの会社の車が映らないとおかしいのですが、トヨタ以外の車を映すわけにはいかないという理由なんですね。

 水を差すようですが、木村拓哉が好きでドラマを見る人もそういうことも分かって見てほしいですね。……
(153ページ)


佐高 …本当に、テレビには幇間(たいこもち)みたいのばっかりいますね。「朝まで生テレビ」には1回しか出ませんでしたが、終わるとなごやかに酒を飲むんですよね。

香山 そうなんです。オウム真理教と幸福の科学だけは「そんな会に出られるかと言って帰った。あれは本物だ」とテレビ朝日の人が言ってました。

佐高 さっきまで言い合ってたのに、私は信じられなかったですね。

香山 そうですね。「ちょっと言い過ぎちゃって」「いやいや分かってますよ、お互い様です」とか言って。そこを中継すればいいのに(笑い)。……
(118〜119ページ)


香山 朝の番組で、「愛国心を憲法に盛り込むのは是か非か」という話になって、私と井筒和幸監督がノーの立場で、イエスの立場の勝谷誠彦さんや三宅久之さんなどとやりあったんです。
 そのコーナーが終了してCMになったら勝谷さんが、
「ああ、面白かったね」と、もう終わったようなことを言ったんです。本気じゃないんだなと、すっごく腹が立ったんです。……
(116ページ)


佐高 ……私が学生時代にベトナム戦争があり、日本テレビが「ノンフィクション劇場」で「南ベトナム海兵大隊戦記」(1965年4月)を放送したんです。アメリカ軍兵士が、いわゆるベトコン兵士の首をちょん切って、その首を持った映像が撮られたんです。
それを、当時の佐藤栄作首相がこういうものをテレビで放映してはならないとして問題にしたんです。茶の間でごはんを食べながら見ているんだから、そういう残酷なものを放映するのはいかんと。
残酷と言ったって、現実はもっと残酷なのに、テレビでつくられた現実だけを、としたんです。

香山 テレビ向きの現実だけを放映しろということ?

佐高 そうそう。テレビにはそういう怖さがあるんじゃないかな? 一時期はそういうことも言われたけど、いまはまったく聞かれなくなりましたね。
(145ページ)


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パソコンが凄く進化した

2006年08月28日

 4年半使ったパソコンが壊れたので、
 SonyのVaioを買った=写真下

Vaio1.jpg
(写真をクリック)


 ものすごく進化していた。
 人間にたとえれば、そう、30年分ぐらいの進歩ってぇ感じ。体感でね。

 付属品のスピーカーの音質は、
10年前に、うん十万円も出して買ったステレオと張り合ってる。

 ありったけのCDをハードディスクに記録できるから、最初にキーボードを叩いて聞き始めれば、ほったらかしで永遠に聞き続けられそう。

 テレビは、全アナログ放送を見られる。画質がいい=写真下

.Vaio2.jpg
(写真をクリック)


 何よりもいいのは、反応が俊敏だ。
 キーを打つ前に、もう文字が画面に現れるんだ。

 なーんちゃって。
 これは冗談。

 それもそのはずで、
 CPUが、3ギガヘルツ(GHz)、
 メインメモリーが2ギガバイト(GB)、
 ハードディスクが400ギガバイト(GB)

 と、飛躍的に増えているのだ。

 買ったばかりのパソコンは、
 VaioのVGC−RC52L9・RC52(デスクトップ型)。

 壊れたのは、
 富士通のFMV―DESKPOWER C18SA(デスクトップ型)。

 値段は、こんどの奴(Vaio)の方が7万円安い。

 仕様を比較してみる。


    CPU    メモリー   ハードディスク
Vaio 3GHz    2GB    400GB

FMV 1.8GHz  256MB  80GB

 CPUが1.2GHz増え、
 メモリーが8倍、
 ハードディスクのメモリーが5倍に増えている。
 古いFMVは、その当時、最高の性能だったんだ。

 新しいのはメモリーの標準装備が1GBだったので、
1GB分増設工事をしてもらった。

 ご存知のように、

 CPUは、データの計算・加工や制御を行なうパソコンの中枢部分で、
メモリに記憶されたプログラムを実行する装置であり、
入力装置や記憶装置からデータを受け取り、

 演算・加工した上で、出力装置や記憶装置(つまりディスプレイ、スピーカーなど)に画像や文字、音などを出力する仕事をする。

 メモリーは、
コンピュータ内でデータやプログラムを記憶する装置で「主記憶装置」ともいう。

 半導体素子を利用して電気的に記録を行なうため、動作が高速で、CPU(中央処理装置)から直接読み書きすることができるが、単位容量あたりの価格が高いため大量には使用できない、とされる。
 
 また、電源を切ると内容が失われてしまうという欠点がある。このため、コンピュータにはメモリのほかに、ハードディスクなどの外部記憶装置(補助記憶装置)が装備されていて、

 利用者がプログラムを起動してデータの加工を行なう際には必要なものだけメモリに呼び出して使い、
 長期的な保存には外部記憶装置が使われる、という。

posted by Jiraux at 00:18 | Comment(0) | TrackBack(1) | news 日々憤怒

泣き出す裁判長 日召が歩み寄ってお辞儀                        一人一殺 49

2006年08月19日

さいばんち造う.jpg
判事席の左側のメガネの人が藤井裁判長。
(写真をクリック)


 「井上昭を……、無期懲役に処す」
 小沼は無期、菱沼無期、古内懲役15年…。
 死刑(求刑)は無期になり、無期(求刑)は有期になり、15年(求刑)が8年、7年(求刑)が3年…。

 寛大な言い渡しに、被告たちは、感激に身を震わせて頭をだんだん低くたれる。

 最後に藤井裁判長は、
 「もし刑が決まって服罪するなら、みんな体を丈夫にして……」
と、何か言おうとしたが、語尾は涙に濡れて唇を噛んで顔を伏せてしまった。
そして、横を向いて、
 「帰ってよい」という。

 伊藤被告がまず階段を地下へ下り始めた。満廷、総立ちだ。

 日召は、静かに立ち上がると、
 裁判長席の下へ行って、感謝いっぱいの瞳をじっと裁判長に向け、お辞儀をした。

 しかし、裁判長はそれに気付かず横を向いている。
 このため、日召=写真下=は、
藤井裁判長が顔を向けている方へ歩いてまわり、裁判長に、再び頭をたれた。

nissyo maru.bmp


 鮮烈な光景だ。

 死刑を求刑されていた被告が、
判決で無期懲役に減刑された直後、裁判長の目の前に行き、判決に感謝してお辞儀している。
 裁判長が、顔を横に向けて気付かなかったために、被告日召は、
裁判長の視線の先まで歩いて行き、感謝のお辞儀をする。

 その裁判長は、
日召がお辞儀をしに来る前の、
判決言い渡しの後の発言中に、

 感極まって泣き出し、言葉が震え、詰まって顔を伏せ、

 感情が治まるのをしばらく待ってから、
横を向いたまま、
 「帰ってよい…」
 と、被告14人に言った。

 この間、満員の傍聴席など、法廷を埋める人々は、裁判長の様子を静かに見守っていた。


 74年前に起きた血盟団テロ事件を、
私が、
 このwebに書いてみようと思い立ったのは、

 実は、
古いスクラップブックの中にあったこの場面を読んだのがきっかけだった。

 何だ、こりゃぁ!
 と思った。

 公正中立の立場にいなければならない裁判長が、

 被告たちがテロルに走ったやむにやまれぬ経緯に感動したのか、

 あるいは、被告たちの行為に感動して「死刑」求刑を、無期懲役に減刑した己の心のありさまに感動したのか、

 判決言い渡し直後の発言が続くさなかに、泣き出す。

 何という日本的な光景だろう。
 「日本」というシステムのあいまいさ(ambiguity)、わからなさが、
ここに、端的に現れている。

 裁判長が、死刑求刑を無期懲役に減刑したって、
ちっともおかしくはない。
 世界中の裁判で起こりうることだ。

 しかし、裁判長は、判決言い渡しに続く発言の中で、
感動して泣き出しちゃいけない。

 それは、
 「私は、被告たちの行いに感動してこういう判決を出したんですよ」
 と、態度で語っているじゃないか。
 きっと正直な人だったんだろうが、
 この場合、
 裁判長の涙は、裁判制度への人々の信頼を、揺るがす。

 さらに、死刑求刑が無期懲役に減刑されたからといって、
井上日召被告は、裁判長に歩み寄って感謝のお辞儀をしちゃ、
もっといけない。

 裁判長の視野に入ろうとして移動し、2度目のお辞儀までしてるじゃないか。
 廷吏たちは何をしていた?
 裁判長の訴訟指揮はどうなっていたんだ?

 検察側は、これら展開に、何の問題性も感じなかったのか? 何の指摘もしなかったのだろうか?

 たとえば、
 「裁判長の公平性に重大な疑義がある」などと。

 この藤井裁判長は、
 社会正義に敏感な人だったんだろう、
と、私は思う。

 しかし、
 藤井裁判長、血盟団首領の井上日召被告の態度に共通しているのは、規範意識の希薄さだ。

 規範。
 辞書には、
 〔哲〕のっとるべき規則。判断・評価または行為などの拠るべき基準。
と書いてある。

 簡単にいえば、自分の立場がまったく分かっていなかった、
ってぇことだ。

 二人とも、裁判長、被告という、社会的立場、約束事を踏み外してるよね。泣いたり、感謝のお辞儀しちゃったりしてさ。
 まわりもほのぼのしたりして、もらい泣きしたり、
温かい目で見たりする人々がたくさんいたんだろう。

 寛大さ(leniency),柔軟性(flexibility)、混沌(chaos)…。

 べつに、俺は嫌いじゃないけどさ、
 なんなの、それってぇものは…?
 それでいいわけ?

 だいたい新聞記事にしてからが、何だ。
 暖かい目で見守ってるじゃないか。
 対象との距離がないんだよ。

 1934年(昭和9)11月22日に、東京地裁であった、この判決言い渡し法廷の全体像を、
 社会面の記事で再現してみよう=写真下

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(写真をクリック)


 一人一殺主義(いちにんいっさつしゅぎ)を唱え昭和維新を目ざした血盟団事件の歴史的判決の日、22日――
 藤井裁判長は荘重な口調で心血を注いだ判決理由書を朗々と読み上げる。

 満廷鉛の如くせきとして約2時間。11時20分いよいよ判決だ。
 「判決を言い渡す」の声に、被告たちの紋付き姿が傍聴者の眼前にズラリと立ち上がった。

 満廷は一瞬「耳」と化す。家族席の人々は思わず境の手すりにつかまり、ある者は耳に手をやる。
 「井上昭を…」
 裁判長の声は法廷に響く。
 次の言葉が生と死との分かれ目だ。

 満廷は、張りつめたダム(堰堤)のごとく緊張する。
 「無期に処す」
 裁判長の第一声に、法廷は思わずハーと大きなため息を吐く。

 被告一同も思わず頭をたれた。
 「日召が無期なら…」残る13被告の断罪は軽いにちがいないと思うまもなく、
 「小沼無期、菱沼無期、古内懲役15年…」

 寛大な言い渡しに、
 被告たちは感激に身を震わせてだんだん頭を低くたれてしまう。

 「卵を産み落とした鮎が流れに沿うて落ちて行く気持ち」だった日召も、死刑から無期に減刑されて「落鮎」も救い上げられたわけだ。

 「鎧舟院日正大鑑居士」と日召和尚から戒名をもらったといってさばさばしていた小沼も、
 もはや戒名が不要になったのを、別に「不平」らしくもなく、やはり嬉しいと見えて、傍聴席の梅吉、新吉兄弟にニッと笑顔をむけた。

 「天なお我を用いんと欲すれば生かし、不要とあれば即刻殺すも可なり」といっていた團男爵暗殺の菱沼も、
 素朴鈍重な顔に、
 「俺はまだいるのかなぁ」と考えているのか、高い天井をにらめている。

 「反古(ほご)紙や光明かがやく今日の日を」
の、大東、古内栄司は、一躍死期から15年に飛躍した喜びに、
いつも無表情の顔を傍聴席に幾度も幾度も下げながら地下へ…。

 最後の日召も、眼鏡が桃色の玉だったかと思われるばかりに眼をうるませて地下に姿を消した。

 大騒ぎなのは家庭席で、手放しで泣いている婦人たち。
わけもなくハンケチを振る女。

 しかし一番大きな興奮をジッと抑えているのは、
言い渡し後ずっと外を向き通していた藤井裁判長のようだった。

posted by Jiraux at 15:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | news 日々憤怒

日召ら 死刑免れる   1人1殺 48

2006年08月18日

判決(罪名 殺人および殺人幇助)
無期懲役  井上 昭 (48)=日召
懲役15年 古内 栄司(33)
懲役15年 四元 義隆(26)
懲役 8年 池袋正八郎(29)
懲役 6年 久木田祐弘(24)
懲役 6年 須田 太郎(26)
懲役 6年 田中 邦雄(25)
懲役 6年 田倉 利之(26)
懲役 4年 星子  毅(26)
懲役 4年 森  憲二(23)
無期懲役  小沼  正(23)
無期懲役  菱沼 五郎(22)

懲役 4年 黒澤 大二(24)
懲役 3年 伊藤  廣(46)
(有期懲役の古内はじめ11被告に対し、刑法第21条により未決勾留500日をそれぞれ通算す)

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 井上準之助・元蔵相、三井合名理事長、團琢磨・男爵を暗殺した血盟団事件の大詰め、判決言い渡しが、
1934年(昭和9)11月22日、東京地裁であった。

 5.15事件の陸海軍被告、民間の従犯関係者の判決があった後だけに、14被告の量刑が注目されていて、
 午前8時の傍聴券の受け付けは、徹夜した人々90人に渡り、ほかの傍聴希望者は廷内に入ることは出来なかった。

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 満廷の傍聴人たちが、固唾(かたず)を飲んで待つうち、
午前9時15分に藤井裁判長が入廷。
 続いて、同35分、井上・元蔵相の暗殺者、小沼正を先頭に、14被告が続いて着席、
藤井裁判長は同36分、開廷を厳かに宣言した。

 歴史的公判だった。
 記事には、こう書いてある。

 裁判長は、
 起立する14被告に対して、とくに着席を許し、
苦心の判決理由書を約2時間かけてじゅんじゅんと読み聞かせ、
厳然とした態度で、判決主文を言い渡した。

 理由書の朗読は、まづ、井上日召の経歴思想から始まった。

 「被告人井上日召は医師たる父、好人の教育、感化と環境の影響を受け、早くより報国任侠の精神を養い、長ずるに及んで、漸次、自己の本体の何者なるやに関し、疑惑を抱き、師長に教えを乞いたるも、満足するものなく……」

 と、読み上げると、
 日召は居ずまいをただして律然として聞き入り、満廷、粛として、咳をする者もなかった。

 裁判長はさらに、日召が渡支中に宇宙、人生などについて深刻な疑雲に包まれて、大正9年(1920)、帰国してから、静岡県原町の松蔭寺(しょういんじ)の山本玄峰和尚について、日蓮宗の行者になり、あるいは、木島完之の指導を受け、最後に、

 人間は、差別相においては分離対立するものではあるが、無差別相においては、我は宇宙と一致し、大我の道は、大衆と苦楽をともにする道であり、同時にそれは菩薩の道である、

 と悟った経緯を朗々と読み上げれば、

 日召は、いかにも自己を知ってもらえたと喜ぶかのように、静かに頭を下げた。

 こうして、日召は、
 茨城県大洗海岸ドンドン山での修行と、反ロンドン条約、ならびに政党財閥、特権階級打倒思想の台頭、
 そして、
 たんなる口舌の徒の多い、ないし、扇動家の多いのを見て憤然とし、

 国家革新の実行的同志を糾合する計画を立て、
 いわゆる血盟団茨城青年組を集めた点から転じて、
古内、小沼、菱沼らの経歴、思想などについて詳論。

 四元、久木田らをはじめ、学生組被告らが、
 学生左傾に憤慨し、あるいは、陸軍の菅波三郎中尉の感化などにより、日召の思想に共鳴することになった事情を述べ、各被告の結合関係に及んだ。

 藤井裁判長は、膀胱結石がまだ直らない田倉利之の体を心配して、この時、朗読をしばらく止め、被告を休憩させるという思いやりを示した。

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 午前11時から、いよいよ事実関係の朗読に入り、

 日召が、海軍の故藤井斉少佐から5.15事件の三上卓中尉が送付したピストル8丁と、実弾を入手して、暗殺すべき人物を、犬養、床次、鈴木(以上、政友会)、若槻、井上、幣原(以上、民政党)、池田、團(以上、三井)、各務、木村(以上、三菱)、西園寺、牧野、伊東、徳川(家達公)=以上、特権階級、

 と定め、このほかに、安田、大倉、住友3財閥の代表者各1人をも目標にした点に入ると、

 傍聴者の中に、今更ながら嘆息を漏らす人々もいた。

 こうして、井上、團を小沼、菱沼の2人が暗殺した点から、伊藤が古内、菱沼らをかくまって、これらの殺人を助けた点を述べ、
11時15分から、約3分間、証拠論ならびに法の適用を述べ、

 同20分、それぞれ、検事の求刑より遙かに軽く、
1人の死刑なく、判決を言い渡した。

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向日葵と、小泉首相の靖国参拝   日々下田D

2006年08月15日

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  1万本の向日葵(ひまわり)が咲く畑に行ってきた=写真上。南伊豆町日野、竹麻小学校の前。車のラジオで知った。

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 匂いは、花畑のような上品さはなくって、野菜畑に似た実利的な感じ。10人ぐらいの観光客が、畑の中の小道に散らばっていた。

 やっぱ、ヴィデオで見たデ・シーカのイタリア映画「ひまわり」なんか思い浮かべて見て回ってるんだろうか。
 俺にも、そんなclicheがチラッとかすめて、甘悲しさがきそうになったから油断ならない。

 すべての花が太陽を向いている=写真下
別の方向を向いたのは一本もない。習性だそうだ。

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 この一種、異様な景色に、
 「一本ぐらいあったっていいじゃないか…、太陽に背を向ける向日葵が」と思った。

 そのとたん、敗戦記念日の今日(8月15日)、早朝7時40分過ぎに、
各mediumの世論調査で70%の人々が表明する「参拝反対」に抗するようにして靖国神社に参拝した、

 小泉純一郎首相(64歳)の孤独が分かった気がした。
 
 他者と違うことを、とがめ、許さず、排除しようとさえする、日本人の国民性、庶民が下から形成するスターリニズム(ファシズムといってもいい)と闘ってるんだ。
 小泉首相の思いの中では。

坂田金時.jpg
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 小泉首相の目には、靖国を巡る日本人の論調が、
憲法が守る個人の自由を圧殺し画一化を迫るスターリニズム(ファシズム)に見えてるんだろう。
 日本人は、違ってる奴の足を引っ張るからなぁ。
 何かってぇと。

 中国や韓国政府の反対を引き受けるように、
大多数のマスコミが「靖国神社参拝反対」を唱える。

 政財界関係者たちの反対の声は大きく、日本人の半数以上が同様に反対する。

 この現象が、小泉首相の目には、日本人の大多数が、従順なヒツジみたいに付和雷同してついて行ってるように見えているに違いない。

 人事権を握る権力者の顔色を常に観察し、
先回りして意に沿うように動く。

 権力者の意向にちょっとでも違うことをしようとする奴がいると、
真っ先に見つけて摘発し、ゴマをする。

 戦時中の、「日本浪漫派」の特定の文学者たちの例を引くまでもなく、
日本のあらゆる官公庁、会社、グループに今でも濃くある動きだね。
 根っこにあるのは、自分の安全・安泰の確保への欲動だ。

 何しろ、日本人の庶民たちが、このようにして下から作り上げたファシズムは、

「完璧なファシズムだ。私はうらやましい!」
 と、第2次大戦時中、イタリアのファシズム”親方”、ムソリーニがうらやんだらしいからなぁ。

 小泉首相は、政界に長く生きて(33年8ヶ月)、
こうしたことを、他者の顔色を見ながらやる“小助”たちに、幾度も苦い思いをさせられて来たに違いない。
 それで、うんざりしてるんだ。
 この一匹狼は。

 こんどの場合、権力者は世論ということになるよなぁ。
 小泉さんは首相だけど、権力者じゃないよ。今回は。

 戦時中の旧日本軍が、アジア各国を侵略して、
人々を殺した。
 その数は計2000万人ともいわれることは、小泉さんはもちろん知っている。

 そして、己の靖国神社参拝が、日本軍兵士たちによって祖父母、両親兄弟や親類を殺されたアジアの人々の心の古傷を破って、新たな血を噴出させることも。

 また、己の靖国神社参拝が、
日本政府がこれまでに築き上げてきた、アジア各国への謝罪の実を、大きく損なうことも。

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 それなのに……、の靖国神社参拝だ。 

 チムグリサー。
 心が痛む風景だ。

 批判するのは簡単だよね。

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下田太鼓祭りに大阪夏の陣を聴く 日々下田C

2006年08月14日

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 大阪夏の陣(1615年5月7日)で豊臣家を滅ぼした徳川軍が、大阪城に入場する時に打ち鳴らした陣太鼓を真似て今に伝えるという、
下田太鼓祭りが13日始まったので、行ってみた。

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 「さて、よいよいよいよい」
 なんてえ、合いの手を入れて、大太鼓・小太鼓が鳴り始め、笛、三味線、鐘の伴奏が入る。
 曲は、高めていくんじゃなくて、なだらかに収まって行こうという、ゆったりした感じで、
 「ほう、こんな音が400年前に大阪城に響いたのか…」
と思った。
 テンポは、だいたい歩行速度だな。

 曲は1番から4番まであって、名がついている。
 1番 岡崎(三河の)
 2番 さん切り
 3番 若竹
 4番 たかどろ 

 大太鼓・小太鼓を載せた「太鼓台」を太鼓の打ち手、笛、三味線、鐘の伴奏の人々が演奏しながら引き回す。20〜30人。
 いずれも肉襦袢に紺の股引、ねじり鉢巻だ。
 太鼓台は全部で15台ある。この15台が、列を成して演奏しながら市内を巡る。

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 外国人女性2人が三味線で加わっていた。
 米国ミズーリ州出身の鈴木リサさん(写真上右)とオーストラリアの人。8回目の参加で、南伊豆町在住、フリースクール校長のリサさんは、
 「下田の人々は、おおらかで、心が広い。この三味線、近くの住職さんがプレゼントしてくれたの」といって、
 三味線を持たせてくれた。ずっしりと持ち重りのする高価そうなものだった。

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 神輿も出ている、約100人が交代で担いで回っている。
 これは、祭神スサノオを担ぎまわって、町内の人々から悪疫を払うという意味をもっていて、意味は日本国中のどの祭りとも一緒。

 片側15人で計30人。(ま、12人なんてこともあるが)
 顔をじっと見てみると、汗はかいているが、必死さはない。
むしろ笑みさえ浮かべている。
例えば、1dの山車を担いで疾走する、福岡の博多祇園山笠のような緊張感は……、nothing。

 こっちへ手を上げる担ぎ手がいたので、よくみると、
高校時代の先輩だ。
ふだん路ですれ違ってもはかばかしい会釈は交わさないんだが、
 今日は、あっちから。

 ははぁ、見せてるんだね、あんた。ふだんは隠してる鉄火を。

 良くみると、観客の中に知り合いを見つけて手を挙げる担ぎ手は、他にもいる。
 
 観客たちより、担ぎ手のほうが先に知り合いを見つける場面がやたらあるのだった。
 
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土肥海水浴場に行った   日々下田 B

2006年08月10日

 西伊豆の土肥(とい)海水浴場に着いて、
 ああ、ここは吉本隆明さん(81)が溺れたところだったなぁ、と気づいた。

 近くの民宿の従業員さんに聴くと、10年前のことなのに、吉本さんのことはよく覚えていて、 
「あの突堤先端の右側でした」と教えられた=写真下

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中央の突堤の先端あたりが、溺れかかった場所。
(写真をクリック)


 近づいて見ると、突堤先端あたりは、大人のへそあたりまでの深さ。波打ち際からの距離は10bぐらいだ。
 この時は引き潮だった。上げ潮だともっと深く、距離も長いはずだが、
 「え? こんな浅場で溺れたの?」という印象だ。

 吉本さんはこの時のことを書いている。

 記憶によると、

 沖へ向けて泳いだ後、引き返そうとしたら急に足が冷たくなって動かなくなった。ずるずると沈んで溺れるさなかに、近くに浮き輪で泳ぐ子供がいて、手を伸ばせば届いたと思うが、そのままずるずると溺れた、というような話だった。

 コメントはしないでおこう。

 家に帰って調べてみると、吉本さんが溺れたのは1996年8月3日(土)で、
 71歳の時だった。

 吉本さんの本にはだいぶお世話になっていて、印象に残る言葉はいろいろある。

 これなんか、よく知られている。

 結婚して子供を生み、そして子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ、そういう生活者をもしも想定できるならば、そういう生活の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値ある存在なんだ。
 (「自己とはなにか」=『敗北の構造』弓立社)

 台風7号一過の土肥海水浴場は、午前9時半で、そうだな7割の混み具合。家族連れが多く、ゆったりと海を楽しむ雰囲気だった。

 伊豆東海岸の白浜海水浴場(下田市)なんかとずいぶん違う。
 東海岸は、若者が多くて、水着やファッションは、新宿や渋谷が引っ越して来たみたいだからな。

 午前10時半過ぎに、下田市へ引っ返したんだが、霧がかかって視界は100bぐらいになっちゃった。1時間前は、快晴だったのに。
 海水に、暖かい空気が冷やされたためだ。冷たい海水が流れ込んだのかも知れない。東海岸側には霧はなく、ずっと快晴だった。

<恋人岬.jpg
「恋人岬」。夕日がきれいだ、という。
(写真をクリック)


 霧が出る前。
 途中に「恋人岬」という場所があったので、寄ってみたら、恋人たちばかり。木漏れ日の道を、手を繋いで歩いてくる。
 20組以上すれ違ったな。
 恋人岬に恋人たち。何の不思議もなけれども…。
 含羞はどうした。含羞は。

 筒井康隆「銀齢の果て」(新潮社、¥1500)。

 インターネットで調べると、「銀嶺の果て」という、ギャングの映画があった。三船敏郎のデビュー作で1947年の東宝作品。監督・脚本、谷口千吉、脚本、黒澤明。
 題名、洒落たんだね。ちょっと面白い。受け狙ったね。

 老人たちを減らすため、70歳以上が、政府の指示で殺し合いをさせられるというエンターテインメントで、殺し方やなんか着想が良くて面白いんですが、えぐって来ない。

 例えば、私に心があって、それが深層から表層へ10層積み重なっているとした場合、
 この作品は、一番上の第10層を、かするだけで、抉らないんです。傷をつけない。

 これが例えば、ゴールディング「蠅の王」なら、第7層ぐらいまで抉るんですが…。私の内側のnegativeが感応して。

 筒井さんのいつものパターンじゃないかな。
 筒井さんの代表作って、何でしたっけ?

posted by Jiraux at 22:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | news 日々憤怒

人間 心の空洞の恥辱 辺見庸再び  日々下田A

2006年08月09日

 台風7号が接近して雨だったので8日午後、
南伊豆町下賀茂の「銀の湯温泉」会館へ行った。

 熱帯で見るような粒の大きい雨が、大風にあおられて降っていた。屋根のない露天風呂の湯面(ゆも 水面じゃないよね)にも、降り注いでいた。
で、そこに入った。

 雨滴は、湯面にぶつかって2、3a跳ね上がる。その水柱が、露天風呂の向こう岸まで、無数に続く。絶え間なく。
 両目のすぐ下まで顔を沈めて、水柱を観察した。壮観だった。ギリシャのパルテノン神殿とおんなじくらいに。

 露天風呂の周りの植え込みが、大風に煽られ揺れ続けて、葉裏を見せている。鬱蒼としてあたりに暗がりをつくる植木の幹が、雨にぬれて黒い。庭灯の黄色い明かりを反射している。

 乙だった。
 風呂にカメラを持ち込むの忘れちゃったもんだから、後悔した。今度行った時に撮って、公開しよう。

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(写真をクリック)


 芥川賞作家で、元共同通信記者の辺見 庸(へんみ・よう 61歳 )=写真上=の話を、またさせてもらう。最新刊の「いまここに在ることの 恥」(毎日新聞社、¥1200)で、刺激的なことをほかにも書いているから。

 
 それは何かってぇと、

 1942年中国山西省の陸軍病院でいつも通りに実行された生体手術演習の光景だ(エッセイ「口中の闇あるいは罪と恥辱について」)。

 日本人医師たちが、男性「患者」に手術をしようとした。
 「患者」は2人で投降者や敵への内通者とされた。
 そのうち、八路軍ふうのがっちりした体躯の男は覚悟を決めたのか、悠然と手術台に乗ったが、

 農民風の男は、恐怖のあまり後じさりを始めた。
 看護婦たちが準備する手術刀、鉗子、メス、ハサミなどの冷たい金属音が部屋に響く。軍医部長、病院長らは和やかに談笑し、いつも通り、医師がルーティンワークをこなす時の、沈着、平静、恬然とした空気が解剖室を支配していた。

 ややあって、この農民風の男が、後に証言者になる新米軍医の目の前までずるずると後じさってくる。新米軍医は、そこで何をしたか?
 その場にいれば誰でもやったであろうことをした。つまり両の手で農民風の中国人の背を手術台の方に押しやった。

 すると、日本人看護婦が進み出て、この中国人に向かって、中国語で、
 「麻酔をするから痛くありません。寝なさい」
と、優しくささやきかけた。中国人はうなずき、手術台に乗って仰向いた。
 看護婦は、医師を振り返って、
 どうです、うまいものでしょう?
 と言わんばかりに笑いかけ、ぺろりと舌を出してみせた。

 医師らは、中国人に腰椎麻酔などを施してから、虫垂切除、腸管縫合、四肢切断、器官切開などを事前の計画通り次から次へと行った。

 虫垂炎でも大腸がんでもない健常な中国人にだ。この中国人は、生きたままバラバラにされ、ついに絶命し、
 衛生兵らにより、ほかにもこうして殺された中国人が埋まっている穴に放り込まれた。

 で、この元新米軍医が、約半世紀後の1993年に開かれた「戦友会」で、偶然、舌ペロリの元看護婦に再会した。彼女は70歳を超えていた筈だった。

 元軍医によると、彼女は、生体解剖というよくないことがあったくらいは漠然と覚えてはいたが、具体的な光景は、おそらく、舌ペロリも含めて忘れていたのだという。
 (吉開那津子「消せない記憶」=日中出版=、および湯浅謙氏の講演録)

 辺見は、

 ペロリと舌を出して見せた若い看護婦の口の、舌の付け根のあたりの暗がりに、秘めやかで果てしのない罪と恥ずかしさ、そして、人倫の謎を感じる。

 生体手術対象者(中国人)を取り囲む群れのどこかに私はほんとうにいなかったのだろうか。このしごく正気の殺戮シーンを、私もいならぶ軍医たちの肩越しに目撃していたのではないだろうか。恐怖で後じさってくる男と私の距離はどのくらいあったか。赤い舌をペロリと出して見せた看護婦に私はどんな笑みを返したのか。後じさってくる被験者の震える背を、私もまた両手で押し戻したのではないか。この構図の中で、もっとも深い罪は果たして那辺にひそむのか……。

 「もっとも深い罪」と「恥ずかしさ」について考えるとき、私はなぜか順当な答えをあなぐることが出来ずにいる。

 中国人への生体解剖を指示した者、システム、直接手を下した者ら、黙認したものたち……それらは言うまでもなく、自明的罪を負うのでなければならない。

 そうと知りつつ私は、あのときペロリと舌を出し、そしてその挙措をたんなる「些事」として(嘘かまことか)失念したという元看護婦に、罪ならぬ罪の底なしの深さとほとんど堪えがたい恥ずかしさ(憎しみかもしれない)を感じて、

 明白な殺戮者があまたいるというのに彼女にはなぜべっしてそう感じるのかをうまく説明できずに、ひとしきり苦しむのである。

 舌ペロリの彼女とは、私たちの「母」の一人であり、あの解剖室の外延にある「いま」の心性だからかも知れない。
 (ここまでは辺見氏のエッセイから引用

 看護婦は、職務に忠実で俊敏な働き手だったのだろう。

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(写真をクリック)


 それで、手術室の仕事の流れを、後じさる中国人へのその中国語の一言で推し進めた。
 生体解剖という殺人に一枚加わり、自分も手を貸すことになるという罪に、はっきり気づかぬまま。

 無意識の罪だね。

 じゃ、舌ペロリは何なんだ?
 自分が中国語で話しかけた一言に中国人がうなづきベッドに乗るまでの2、3秒の間に、その一言の罪がくっきり像を結んで、つまり理解して、恥じたのか。

 罪の可能性をはっきり感知できぬまま、回転し続ける職場の論理に動かされて、なりゆきで犯してしまう。

 そして、後で自分が犯した罪に気づき、七転八倒、苦しむ。旧雪印や三菱自動車など、いまでも例は多いね。

 人間てぇのは、心にそういう空洞を抱えこんだ存在なんだ。
 無意識の領域で、知らぬうちに罪を犯してしまうことがあるのが人間というものなんだ、
 ということ、をよく教えてくれるエッセイだった。

 美しい文章だ、と思った。

posted by Jiraux at 21:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | news 日々憤怒

伊豆の下田に帰ってきた   日々下田 @

2006年08月07日

 夏休みに入ったので、生まれ故郷の伊豆の下田へ帰って来ました。老いた父母が暮らしています。

 このweb「Jiraux‘s Seize Japan」の、
表紙のカウンターの数字を見ますと、
 ありがたいことに、100人ぐらいの固定読者がいてくださるようです。

 で、その皆さんに、
 ここから、
 下田あたりの報告を、ミニマリズムでさせていただこうと、思いつきました。
 ミニマリズムとは、極小主義。
 身の回りの、どうでもいいような小さなことを書く方法をいいます。
 「日々下田」って題でいきますので、訪問してください。

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(写真をクリック)


 本は10冊もってきました=写真上

@夏目漱石「それから」
A筒井康隆「銀齢の果て」
Bハリス「日本滞在記 」
Cジョン・ダワー「敗北を抱きしめて 」
D「映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇」
E養老孟司・阿川佐和子「男女の怪」
FErnesto ‘Che’ Guevara「The Mortorcycle Diaries」
です。

 漱石「それから」は、「三四郎」「門」と並ぶ、「漱石三部作」のひとつ。三部作中、これだけ読んでいない。

 筒井「銀齢の果て」は、老人を減らすために、政府の奨励で、老人たちが殺し合いをする話。ゴールディング「蠅の王」に始まり、深作欣二の映画なんかに流れてきてる、バトルロワイヤルの話ですが、筒井は、それをさらに進化させているんじゃないかと期待してます。

 ハリス「日本滞在記」は、ハリスの日記。
唐人お吉が、ハリスの妾だったってぇ物語を、十一谷儀三郎って流行作家が、昔書いたのがきっかけで、
お吉はとうとう、ここ下田一の、歴史上の有名人になっちゃったんだが、それが真っ赤な嘘だったってのは、これを読めばよく分かる。ひどいよなー。

 ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」は、2000年のピューリッツァー賞受賞作。かつて原書で読み始めたんですが、80ページぐらいで挫折した。

 「映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇」。
 これは、凄くいい本です。テロリストたちのことを報告している、ここ「日々憤怒」の「一人一殺」で、やがて分かります。
 後の2冊は、またいずれ読んだときに。

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(写真をクリック)


 きょう、午後2時17分発の東海道線普通列車で横浜を発ち、2回乗換えで、5時半に、下田に着きました。
 伊豆急のリゾート21は、外の景色がよく見えました=写真上下

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(写真をクリック)


posted by Jiraux at 23:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | news 日々憤怒

天皇ヒロヒトを描いた 映画「太陽」は、面白いよ。

2006年08月06日

 天皇裕仁は、老いた侍従たちに遠巻きにされてかしずかれ、ひとりぽっちだった。
 柱や家具などが、重々しく黒光りする木造りの部屋。
光はロウソクだ。その、分厚いコンクリート造りの皇居地下壕の部屋に、空襲を逃れてひとりでいる。
「私は孤独だ」と、机に着く彼はつぶやく。

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(写真をクリック)


 空襲についての会話がわずかにあって、その後、

 「日本人で生き残るのは、私だけになりはせぬか?」
 と、忠義だけの朴訥そうな60歳代の侍従に問いかける。
 いつも、上下の唇をもごもごさせている(これは神経症の現われだそうだ)。

 「子供だな」
 天皇裕仁(44)に初めて会い、英語で話し合ったGHQ総司令官ダグラス・マッカーサー(65)は、
 天皇が去った後でそうつぶやく。

 敗戦後に、疎開先から帰った皇后に会うendマーク直前のシーンでは、
 抱き合わずに、皇后に照れくさそうに寄り、
 皇后の右肩に、遠慮しながら額を着けて、長かった孤独に傷ついた心を癒す。皇后が、彼の後頭部を右手でなでる。

 ディテイルが綿密に描かれた、reality十分な、いい映画を観た。
 「The sun(太陽)」(アレクサンドル・ソクーロフ監督)。

 天皇役はイッセイ尾形、皇后役は桃井かおり。
それに、唐十郎さんとこにいた役者が約2人。

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(写真をクリック)

 これほど現実感がある天皇が、日本の映画でかつて描かれたろうか? 描かれなかった。

 日本人は、またしても外国人にやられちゃった。
戦争責任への裁きが、日本人自らの手で出来なかったのと、同じだな、原因は。
 菊のタブー、そして自己規制。
 自分じゃ何―んにも出来ないんだな、日本人てーものは。

 この映画のよさは、ただ一点。

 天皇の日常の、こまごました生活ぶりが綿密に描かれていることだけです。
 例えば、天皇が朝、服を着るとき、70歳に近いような侍従が、中腰になってすべてやってやるんだが、
なかなかシャツのボタンがはまらなかったりして苦労する。時間がかかる。

 そのときに、天皇からは、この焦る侍従がどのように見えていたか?
はげ頭のてっぺんに、汗の粒がびっしり。表情は、痴呆のように間抜けに見える。息も臭い(かったはずだ)。

 あるいは、天皇と股肱の臣、侍従たちとの距離は、どのようだったか?
 親身だったのか? それともよそよそしかったのか?

 これらのディテイルが、すごく綿密で、
 「ああ、裕仁って、こんな生活を送って、あんな人物像になっちゃったんだ」
 って、納得に近いような感じを抱かせる。

 ストーリーは、はかばかしくないよ。
 だって、空襲を避けて地下壕に暮らす頃から、敗戦で、GHQ司令官のマッカーサーに会う頃までの、話だからね。

 ソクーロフ監督は、戦後生まれのロシア人で、ドキュメンタリー映画をたくさん作った人。だからかな、live感が画面にあるんだよ。

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(写真をクリック)

 裕仁の事実に最接近するために、世界中のあらゆる資料にあたった、
と、映画監督足立正生との対談で言っている(「映画芸術 416」)。

 この対談で、ソクーロフ監督は、これまで公にならなかった史実を明かしている。映画をつくるための膨大な調査で分かったんだ。

それは、

 大戦中、ナチスドイツがモスクワ郊外にまで迫っていた時、
ヒットラーが、天皇に電話して、シベリア戦線に参戦するよう頼んだ。モスクワは壊滅的な状況で、もしソ連がモスクワの街を守れなかったら、
ナチスドイツは、そのまま侵攻を続けて、シベリアを通過し、日本まで行ったかもしれない、というのが、ソクーロフの見方。

 しかし、ヒロヒトはヒットラーを信用せず、言うことを聞かなかった。

 俺は、この映画を初日の5日に見たんだが、
 映画館の前は、人々が毎回、見たこともないくらいたくさん集まっていた。
 従業員さんによると、
 収容人員177人の劇場で7回上映した。
 毎回満員で、1200人以上が、この日見たという。
 今年1番の入りで、その人気は、「3丁目のナントカ」という映画以来だ、という。

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(写真をクリック)

 上映館は、日本でここだけ。いまのところ全国で上映する計画はないらしい。

 映画館「銀座シネパトス」は、銀座4丁目交差点から、築地の市場のほうへ向けて歩いて5分。三原橋ってえのかな。道路の下に設けられた、半地下街のようなところにあるよ。¥1800(おとな)。

posted by Jiraux at 13:26 | Comment(6) | TrackBack(0) | news 日々憤怒

小泉首相に、ものいわぬヒツジたち 辺見庸怒る

2006年08月05日

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(写真をクリック)


 芥川賞作家で、元共同通信記者の辺見 庸(へんみ・よう 61歳 )=写真上=が、
 最新刊の「いまここに在ることの 恥」(毎日新聞社、¥1200)=写真下=で、怒髪天を突かせている。

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 辺見はなぜ怒ったのか、って?

 そりゃあーた、新聞記者が、最高権力者、小泉純一郎首相に対して、必要以上に気を遣い、
 批判すべき時にせず(出来ず)、機嫌をとりむすんでいると、辺見には見えているからです。

 宦官(かんがん)みたいに、いくじなしに見えてるようだ。「ファシズムの風景だ」という。

 怒りに火をつけたのは、次の場面です。

 2003年12月9日、自衛隊のイラク派兵が閣議決定された日、
小泉は、自衛隊をイラクに派兵する論拠が、憲法前文にある、と記者会見で語り、
 「みなさん、読みましたか」と記者たちに聞いた。

 そこにいた政治部の記者たちに、
 「総理、それは間違っているのではないですか」と疑問を示した記者がいたか?

 いなかった。ごく当たり前のように、かしこまって聞いていた。羊のように従順に、ただ黙って聞いていた。寂として声が上がらなかった。問題にしなかった。

 翌日の新聞は、一斉に社説を立ててこの憲法解釈について論じたか? 憤激したか?
 しなかった。

 ファシズムというのは、こういう光景を言うのではないか。
 「やつらは糞バエだ」と、辺見は指摘する。

 「2003年12月9日、首相官邸に立って、あのファシストの話を黙って聞いていた記者たち。世の中の裁定者面をしたマスコミ大手の傲岸な記者たち。あれは正真正銘の、立派な背広を着た糞バエたちです。彼らは権力のまく餌と権力の排泄物にどこまでもたかりつく」
と、厳しく批判している。

 「糞バエか,てめーら」

 6月24日に、超満員となった大阪・中之島公会堂でやった講演でも、辺見は、そう吠えたらしい。

 辺見は、なぜ怒っているのか?

 この本の第V章、
 つまり、2006年4月27日、毎日新聞東京本社地下「毎日ホール」での講演会「憲法改悪にどこまでも反対する」の記録、
には書かれてはいないが、

 それは、小泉純一郎首相が、
 不戦を誓った憲法の精神の本質を説いた憲法前文=末尾参照=を、
 逆手(さかて)に取るようなやり方で利用し、
イラクの戦場に自衛隊を派兵する根拠として説明するという、なめたことを、公然とやったのに、
 記者たちの誰ひとりとして怒らず、
疑問の声を上げなかったためであるのは明らかだ。
参考に、日本国憲法前文を、末尾に掲げておく

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(写真をクリック)


 辺見は、2003年12月9日、首相官邸であったこの記者会見で、小泉を取り囲んだ記者の誰からも疑問が出なかった理由として、

 「記者たちが権力者に羊のように従順に従っているためだ」と解釈しているようだ。その解釈が、辺見の怒りに火をつけた。

 しかし、記者たちが疑問を示さなかった理由について、
俺の感想は少し違う。

 あの時、首相小泉を取り囲んでいた記者たちは、辺見が敏感に感じ取った問題点について、
 あの場で、誰ひとりはっきりとは気付かなかったんだ、と思う。だから、質問が出なかった。それだけのことだ。

 末尾に掲げた「憲法前文」の、最終部分を読んでほしい。
 こうなっている。

 「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」

 小泉を取り囲んでいた政治記者たちの何人が、憲法前文を記憶していたかは知らないが、

 小泉が、イラクへの自衛隊派兵の根拠としてここを示していたなら、
 黙り込むしかなかったに違いない。

 日本国憲法の本質は不戦なのだ、という核心をおさえていれば、小泉の、揺るぎない、おかしさは誰でも気づくんだが……。

 政治記者たちは、権力の移動など政局には敏感だが(だって、大きなニュースになるからな)、
 こういうような、憲法の理念とかいった、もっと大事な高い次元にかかわることには敏感でないやつが多いんだ。

 政治記者たちの多くが、自分の社内での出世競争や、取材活動の中で、権力に飼い慣らされ、社内権力者たちの意向に極めて敏感で、おもねる人柄になってしまうことは、

 筆者もよーく知ってはいるが、

 小泉の記者会見の場で、その発言に疑問を感じて質問の声を上げることにビビルやつは、一人もいなかっただろう。
 彼らはただ、不戦を誓う憲法の精神に、鈍かっただけなんだ。

 どのメディアでも、社内の「エリートコース」(くだらないな……、ったく)と位置づけられる政治部の記者たちが、

 入社して地方の支局で働き、本社に帰る5、6年の間に、
 支局長、デスクや先輩たちに気に入られる、従順で、そつのない優等生タイプの記者たちの中から選別される。

 そして、こうした記者たちの多くが、

 反論すべき時にも反論出来ない(しない)自己規制過剰型の、事なかれ主義の、役人そっくりな人々であることは、
 辺見同様、わたしも知っている。

 だが、今回の問題は、
 小泉発言の問題点に気付けぬ、
政治記者たちのニュース感覚の鈍さが原因だった、と思う。

 辺見の指摘より、
 事態はもっといけないことになってるんじゃないか。

 だって、彼らは、従順なヒツジ以前なんだから。

 「日本国憲法前文」

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。


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91回の公判で結審     一人一殺 47

2006年08月01日

 血盟団首領、被告井上日召のための特別弁護は、
1934年(昭和9)9月18日にも東京地裁であり、
「大日本皇政会」と「神宮奉斎会」の会長だった、今泉定助(71歳)という人が弁論をした、という記事が出ている。

 白い長髭、紋付きの羽織を着て弁護士席に立つ翁は、
「昭和6年春から日召と交流があった」といい、厳父という印象だったそうで、
 皇道、すなわち、天皇の行う治政の道について、
 「3000年の国史」から論じ、

 「宇宙萬有生成化育の原理より、わが国家がその宇宙の真理を発顕したものである」と断じ、国体の本質を述べた。

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(写真をクリック)


 20分間の休憩の後、
 「いつの世でも、地主、小作人、金持ち、労働者はある。しかし皇道国家には階級闘争はなかった。
 それが今日のごとき習慣をつくったのは、人倫の根本である親心をもって心としない上部に立つ者の責任であって、このままであれば、いくら民心作興とか、教化総動員とか、自力更生とか唱えても、なんの役にも立たぬ」
 と指摘して、
 利己、享楽、黄金主義の唯物教育を排し、現今教育制度に論及し、
さらに法律問題に触れ、転じて、

 日召ら14被告の行為について、
 「いずれも一点の私心なし」として、
 「一殺が目的ではなく、萬生がその念願である」と述べ、

 「菱沼五郎が、團男爵をやる前に、明治神宮に参拝し、わが目的もしも不善ならば、これを遂げさせぬように、と祈願し、小沼が、井上準之助を暗殺して後、
 私怨なくただ、その冥福を祈っていると承っているが……」
 と涙をぬぐった。

 最後に、今泉翁は、
 「社会国家の反省を促し、井上準之助、團琢磨氏らを犬死にさせるな」と叫び、

 「殺人罪が不当である」と説き、
 「法一点張りの形式に陥らずに、その精神を汲み、神の境地から裁け」
と、二時間半にわたる弁論を終えた。

 神道信奉者らしい今泉翁の発言には、
 違和感を書いておかなければいけない。

 「3000年の国史」とはどういう意味なのだろう。
 この年、1934年から3000年さかのぼると、
 それは、紀元前1066年だ。
 そのころ、日本もしくは大和(古名)という国が、この日本列島にあったというのか?

 その頃、日本に文字はなく、記述された歴史もなかった。
 したがって、日本がどういう状態にあったのか、知る手懸かりはない。

 日本が、文字の歴史に登場するのは、
 福岡市のあたりにあった「奴国」に、中国の皇帝が贈った、金印(漢倭奴国王印)の話(紀元57年頃)ではなかったか?

 そうだ、中国の史書に、
 「倭人は、全身に入れ墨をしていて、魚を捕るのが上手で、魚をよく食う」なんて書かれたのもありましたな。
 これも、ほとんど、同時期の記述だったはずだ。

 研究によると、紀元5世紀ぐらいまでは、
 日本は、列島の四方から流入した原住民が住んで、多数の部族が割拠する植民地のようなものだったんだろう。

 中国側の認識だと、倭の国は植民地で、朝鮮半島に派遣した地方官吏を通じて植民地支配をしていることになっていた。

 そして、江上波夫の「騎馬民族説」などによれば、
 これらの原住民たちは、朝鮮半島から渡来した騎馬民族の武力によって支配された。その王が、今の皇室の先祖である、
ということになっているのではないか。

 つまり、これらの説によると、
 天皇の祖先は、朝鮮出身だったのだ。

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 血盟団事件の14被告の東京地裁での公判は、
 1934年(昭和9)10月18日に結審した。公判の回数は、1933年(昭和8)年6月の第1回公判以来、これで91回目。
 結審の法廷には、林弁護士から、さまざまな団体からの数千の上申書や決議、また、日召の長女、涼子さんへ、一
女性からの金一封が提出された。
 
 林弁護士は、最後の弁論で、
 「血盟団と社会情勢との必然的関係を力説し、法律問題に論及。共同正犯説に反論し、殺人罪援用が不当であると批判し、佐郷屋事件(浜口首相襲撃事件)の判例を引いて、行刑に判例なし」
 と、訴えた。

 藤井裁判長は、14被告に、
 「何か最後に申し述べることはないか?」
 とていねいに尋ねる。

 日召ら全被告は、
 「何も申し上げることはございません」と答え、
これで、最終訊問を終わった。

 次いで中川博士(どういう人物なんだろう? 突然記事に登場する)が立って、
 「この公判が無事に結審して感謝に堪えない」と挨拶を述べ、

 和やかな気分のうちに、裁判長は、
 「判決期日は、追って指定する」と宣告し、閉廷した。

 法廷での審理が終わると、
弁護士一行は、午前11時半、日召の妻とし子さん、日召の親友、木島完之さん、今泉定助翁と共に、明治神宮に参拝し、
林、奥山弁護士ら6人は、さらに青山の故井上準之助、故犬養毅、および護国寺の故團琢磨男爵の墓に参った、
と記事に書いてある。

posted by Jiraux at 00:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | news 日々憤怒

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