news 日々憤怒 - 2006年05月

柳家三太楼破門 記事の真偽

2006年05月31日

 真打になって4年8ヶ月の柳家三太楼(41)が今月6日、破門になっちゃった問題で、
 騒ぎの発端になった週刊ポスト4月21日号の記事=写真=について、
「師匠の柳家権太楼(59)が、本当にあんなこと言ったのか? 記者が本人に聞かずに書いたんじゃないか」
 なんてえ趣旨の書き込みが「伝統芸能@2ch 掲示板」に出てるけど、そりゃ、深読みだと思うよ。
 記事は、権太楼本人に取材して、正確に書かれているんじゃないか。

破門記事 替え 2.jpg
週刊ポスト 4月21日号の記事
(記事をクリック)

 ってえのは、

 記事中の、記者のインタビューに対する、権太楼の答えの部分のディテイルがしっかりしてる。

 記事の筆者は
 「柳家権太楼は、人気・実力ともに最も脂の乗りきっている落語家のひとり」「権太楼の独演会は30分でチケットが売り切れるという。そんな大人気の師匠の様子が最近おかしいのはなぜか?」
 などと書いて、権太楼に好意を持っている。
(つまりそれは、権太楼が逃げないで、記者にちゃんと答えたということだ)

 さらに、28日午前11時半から池袋演芸場であった権太楼の「日曜朝のおさらい会」で、
 権太楼本人が、ことのいきさつを長く話したが、週刊誌記事の事実関係について、否定はしなかったようだ。

 これら3つが、判断の根拠だな。

 週刊誌記事を読まなかった人のために、権太楼が記者に話した、ことの経緯を、記事の中から説明すると。

 3月20日夜、鈴本演芸場での千秋楽の打ち上げでしたたか飲んだ。皆で外で飲んだ後、
 三太楼が
 「師匠のとこで飲んでいいですか?」と聞くので、権太楼の家に行って、師匠とおかみさん、三太楼の3人で飲んだ。
その最中に取っ組み合いになって三太楼が権太楼を殴った。(※注=末尾を参照)

 きっかけは、Tシャツ。

 今年8月の「円朝まつり」で売る予定のTシャツの完成が、デザイン変更で納期に間に合わなくなっていた。Tシャツ作り担当の三太楼が、知り合いのデザイナーに頼んだのだ。

 で、権太楼が「じゃ、お前、Tシャツの担当辞めろ」
 と言ったら、三太楼は、
 「オレの苦労は分からないだろう」と反発し、
 権太楼が、
 「分かれといわれても、俺は分かる必要もない」と答えた。

 取っ組み合いがあったのは、3月21日午前2時ごろで、
 「三太楼は意地になって、寝ないで翌朝、落語協会の名前を自分で消したんだろ」と、権太楼が推理している。

 権太楼へのインタビューで、印象的なところは、
 「三太楼が俺に頭を下げて戻ってくればいい話なんですよ」「むこうがちゃんと謝ってくればいい。答えはあるんです。あとは全て三太楼次第です」
 といっているところだね。

 三太楼は、経歴によると41歳だ。
 たしか大学を中退して権太楼に入門し、18年もついてきたんだね。権太楼が好きなんだな。好きじゃなきゃ、18年も続かないよ。

 好きだから殴っちゃったってえことも、よくあるんだよな。世の中には。
 あんまりあるわけじゃないけどさ。
 だから、弟子に好かれる師匠は、気をつけなくっちゃいけない。

 ま、「甘え」と人々はいうかもしれない。

 三太楼が噺の枕で、権太楼との思い出話をするのを聞いたことがある。

 それは、長野だか新潟だかで地方公演をした帰りの列車の中での光景だった。
 師匠の権太楼はグリーン車で、三太楼は、普通車に乗っていた。
 師匠に呼ばれて、グリーン車に行くと、

 「いまから噺の稽古をしてやる」って言われたんだな。

 三太楼が話すのを権太楼が聞いて、あれこれ指導してくれたんだったか、
 あるいは、
 権太楼が話して稽古をつけてやったんだか、
細かなところははっきり覚えちゃいないが、

 列車が、東京に着く間際まで、グリーン車で向かい合わせに座って、稽古は続いた、
 って、三太楼は、嬉しそうに、そしてテレ臭そうに話して、
 「ホントーに、やさしい師匠なんですヨ」と感謝をいっぱい現してた。

 あれは、トリの権太楼が楽屋入りする前に話したんだったろうな。きっと。
 三太楼は、ヨイショがそれほど上手じゃなさそうだから。


(※注) 
「殴られたというようなことはない、と権太楼は朝の会では言っていたのですよ」
 との書き込みが31日22:42に、
 「伝統芸能@2ch 掲示板」の「柳家権太楼 2」というスレッドにありました。書き込み番号は880です。880番さんは、じかに聞いたらしい。

 三太楼は、師匠を殴ってはいなかった。

 「殴られなかった」と権太楼が、28日の「朝のおさらい会」で言ったんだから、

 取材の過程で、ポストの記者が、聞き間違えたか、権太楼がいい間違えたか、
 或いは、権太楼が事実と違うことを言ってしまったのでしょう。
 大事なところです。
 (取材のやり取りが録音されていたなら、再生で、すぐ分かります)

posted by Jiraux at 13:19 | Comment(2) | TrackBack(1) | news 日々憤怒

満州浪人の井上日召    一人一殺 C    四

2006年05月30日

 井上準之助と團琢磨の暗殺は、
暗闇の底に築かれた巨大なたくらみの、ほんの一部に過ぎなかった。

 巻物の連判状に19人が血判を押して血盟し、重臣の西園寺公望公爵、牧野伸顕伯爵、犬養毅首相ら政財界の要人20人を一人一殺して「昭和維新」の社会変革を実現しようとした「血盟団事件」が、そのたくらみの全貌だ。

 政府財界の大立者20人に、暗殺担当者を1人ずつあててつけ狙わせ、時間をかけて端から殺してゆく計画だったが、
 2人を暗殺しただけで崩れた。

 捜査が進んでいたさなかの1932年5月15日に、陸海軍の軍人9人が首相官邸に犬養毅首相を襲って射殺する「五・一五事件」が起き、
 ふたつの事件は、底でつながっていて、

 先行した血盟団の暗殺2つが刺激になって「五・一五事件」が起きたらしいことが、やがてわかったから、
もの凄い衝撃が当時の支配層に走ったに違いない。
震え上がった人々が数多くいただろう。

 1995年3月20日朝、東京の地下鉄の5列車で、毒ガスのサリン散布で計12人の死者と3596人の被害者を発生させた、宗教団体オウム真理教による「地下鉄サリン事件」、
 または、3000人以上の犠牲者を生んだ、イスラム系国際テロリスト集団アルカイダによる2001年9月11日の、「アメリカ同時多発テロ 9.11事件」クラスのショックで、人々を深く激しく揺すぶった事件だったのではないか。

フィリピン花.jpg
( 写真をクリック )

 しかし「血盟団事件」は、はじめは、二つの事件のような激しい顔は見せず、氷山が、全体像のほんの一部だけを海面の上に見せているような、
比較的静かな感じで姿を現した。
その危険な全貌は、捜査の進展に従ってゆっくりと現れたのだった。

 1932年(昭和7)3月7日付けの新聞記事には、

 團琢磨暗殺の翌日の1932年3月6日午前11時半、警視庁刑事部特別室で、木内検事はじめ土屋、石森両課長、清水、中村両主任警部らが、菱沼五郎に厳重な尋問を開始した。

 夜7時頃になって、

 菱沼の供述から有力なるヒントを得て、にわかに色めきたち、刑事たちが各方面へ出動し物々しく活動を始め、
 ○○○○党関係につき端なくも重大なる手懸かりを得たので、松本刑事部長は午後9時、大野総監を官舎に訪い約1時間にわたり密議をこらし、警視庁に引き揚げ、直ちに石森、土屋両課長を自室に召集、捜査上の秘策を授け徹夜の活動を続けた。

 と書いてある。

 だが、なんのことなのかよく分からない。

 たぶん、菱沼への拷問による厳しい取り調べを続けた結果、7時間が過ぎた頃になって、やっと決定的に有力な供述が得られたのではなかったのか。

 同じ7日付けの紙面には、先行する記事に脈絡をつけず唐突に、

 「暗殺団を操る黒幕等を大捜査」の見出しが立てられ、
 その脇に、
 満州浪人で、茨城県茨城郡祝町、日蓮宗曼荼羅寺布教師、井上日召こと井上四郎(42)と、
 栃木県生まれで、前濱小学校の元代用教員、古内栄司(31)の顔写真2枚が、縦組みで掲載され、2人の経歴が書かれている=写真

 その唐突さに、含みが感じられる。
 菱沼の供述から、この2人の存在が浮かび上がったのではなかったかという推理を誘う。

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井上日召(写真上)、古内栄司
( 写真をクリック )

 そして、
 「血盟5人組は、菱沼、小沼、川崎、黒澤、古内の5名であるといわれたが、新たに、捜査の結果、古内は頭領で古内の他に5名あることが判明した。しかして新たなる1名は川崎長光と親戚の間柄なる川崎長二であって……なお彼らが血をもって決死隊を組織したのは郷里においてではなく、古内が昨年10月過ぎ上京してから某所で会合のうえ行ったものであるといはれている」
 とも書いてある。

posted by Jiraux at 23:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | news 日々憤怒

團琢磨、三井銀行前で    一人一殺 B

2006年05月29日

 暖かい日差しが朝の冷気をゆるめ、日向ぼっこを誘っていた。ダークのオーバーに背広の、丸顔の若い男が、壁に寄りかかって休んでいるのは、そのせいだろう、と誰もが思った。
 しばらくして黒い自動車が着いて、後部左座席のドアが開き、身なりのいい老人の左半身が車から出ると、
日向ぼっこ中の若い男がドアに駆け寄り、タイヤのパンクのような破裂音を立てた。

 老人は、車の横に崩れ落ちた。
 老人の後から飛び出した太った男が、倒れた老人に両腕を突き出して何かを向ける若い男に飛びかかった。
 男は、黒い物を手から落とし、組み敷かれた。

 1932年(昭和7)3月5日午前11時半、東京都日本橋区駿河町、三井銀行南側、三越寄りの歩道で起きた襲撃だ。

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(写真をクリック)

老人は、日本で最大の財閥、三井合名理事長、團琢磨・男爵(74)。
右胸部を銃弾で撃たれ出血が激しかった。

老人は、歩いて入ろうとした三井銀行ビルの入り口から、運転手ら数人によってビル5階の医務室に運び込まれ、泉橋慈善病院内科部長坂本恒雄博士ら6人から手当を受けたが、同日午後零時20分、出血多量で死去した。
 社会に衝撃を与えた井上準之助暗殺から24日後の事件だった。

撃った男は堀留署に連行され、やがて、茨城県那珂郡前渡村前濱1215、戸主徳松3男、菱沼五郎(20)=写真下=であることが分かった。

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(写真をクリック)

 菱沼が、井上・前蔵相暗殺の犯人、小沼正と同じ、茨城県那珂郡出身であることが判明したことから、警察側は色めき立った。
 これで二つの事件は補助線で結ばれたからだ。

 團琢磨射殺を報じる74年前の3月6日付け新聞記事にはこうある。

「驚くべし犯人は 井上氏射殺の一味」の脇見出しの脇に、
菱沼、小沼の「2人の兇漢の間にはさらにそれ以上(同じ郡出身であるということ以上)の関係が存在している。昨年上京し、相携えてかつて日本國民党中央執行委員長寺田稲次郎氏の門に馳せ参じ、同じく同郷の川崎、黒澤外一名と都合五名で血盟して決死隊を組織した間柄であった」

 記事に書かれてはいないが、警視庁または堀留署で、拷問による厳しい取り調べがあったらしい、との印象がある。

 社会に激震を走らせた、井上・前蔵相暗殺から1ヶ月絶たない内に「財界の大御所」團琢磨男爵が暗殺されたため、政財界の人々が受けたショックは大きく、不安を感じた重臣西園寺が静岡・興津の別荘から上京して駿河台の邸宅に入る成り行きになった。騒ぎはこれで一層大きくなり、警視庁首脳は慌てたからだ。

「引き続いての凶変に警察機関の無能を白日の下に暴露した感あり、警視庁当局に対する非難の声が各方面に早くも放たれている」と、翌日の新聞は書き、
「警察機関の無能力さを、白日下に暴露の観」の見出しが別記事に付けられた。

「赤には敏感、黒に鈍感の非難」
の見出しもある。
 警察は、共産党には部厚い調査体制を敷き、
 共産党系のビラ1枚が落ちていても、出所がすぐに割り出せる蓄積があったが、
 右翼に対しては情報がなく「五里霧中状態だった」、という。

 警視庁の慌てぶりはすさまじく、暗殺の噂が立てられた要人の家には、13、4人の制私服警官が張り込み、出入り商人にも目を配る過敏さで、誰かが通用門の戸を押して顔を出しただけで3、4人の巡査が取り付いて調べる騒ぎになっていた。
 各大臣や財界大物には1、2人の護衛が急きょ付けられた。

 警視庁に身柄を移された菱沼のオーバーの袖の折り返しから、経済誌に載った團琢磨の写真が見つかった。調べには平然とした態度で応じ、犯行の日(5日)の夜半までに、
 昭和4年12月に岩倉鉄道学校を卒業後、茨城の地元に帰ったが、6年2月に再び上京、「日本国民党」、大川周明主宰の「行地社」に入り、4年7月に行地社を出て、浅草、本郷のタクシー助手として勤めた。
 原宿の團の邸宅や三井銀行に張り込み、團の出勤は何時で、三井には何時に着くか、などを詳しく調べ、三井銀行隣の三越屋上から、三井銀行ビル周辺の地形を観察していた、などが分かった。

「腐敗しきっている既成政党を打破する目的でやったもので、既成政党の背後には必ず大きな財閥の巨頭がついているからまずその財閥の巨頭からやる。團男爵をやったのは、今の財閥の中心は三井で三井の中心人物は團男爵だから同氏を血祭りに上げたのだ」
 と動機を話したが、犯行に使ったブローニング3号型6連発銃の出所については出鱈目を言い、話さなかったという。

 菱沼のブローニング短銃には、5発の実弾が残されていた。小沼が暗殺に使ったのと同型だった。分解して手を加えたらしく、短銃番号は摩滅して判読出来なかった。

 菱沼は、1934年(昭和9)11月22日、東京地裁で、小沼と同じく殺人罪で無期懲役の判決を受け、小菅刑務所に下獄した。その後、2回の恩赦を受けた。
 1940年(昭和15)11月3日、明治節の恩赦で、小沼、佐郷屋ら132人とともに出所した。

 出所後、右翼運動から離れた。
 やがて地元漁協などに推され、茨城県会議員に当選し、8期つとめた。県議会議長や県漁連会長などにも就任した。
1990年10月3日、肝不全のため茨城県茨城郡友部町の県立中央病院で死去した。78歳だった。

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菱沼五郎の訃報記事
(写真をクリック)

posted by Jiraux at 23:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | news 日々憤怒

井上準之助を暗殺    一人一殺 A

2006年05月26日

 水戸大洗海岸の立正護國堂の修養所のお題目部屋で、
 「南無妙法法蓮華経」を、皆で大声で唱えている内に、気分が良くなって気を失う。
 これは、陶酔という状態らしかった。
 たびたび陶酔した。

 その日は東京の下宿で陶酔状態になったらしい。お題目も唱えなかったのに。
 下宿で、「さあやるぞ」と思ったら、陶酔した時のように、何がなんだか分からなくなって、台所で水を一杯だけ飲んで、気を落ち着かせようとした。

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(写真をクリック)

 家を出たが、どこをどう歩いているのか分からない。
 駒井という代議士の演説会場の裏門にどうにか着いて、群衆に紛れ込んで目標の人を待っていた。

 やがて車が着いて、その人は降りてきたのだが、背中しか見えない。
「さあ、やらなきゃ」と思った。

 だが、ピストルをどう撃てばいいのかも分からなくなっていた。
 しようがないので、後ろからぶつかって行った。
 弾みで引き金を引いたらしく、目標は弾が当たって倒れた。

 体を地面に押さえつけられ、殴られ、蹴飛ばされ、分からなくなった。
 腹が減って、減って、うどんが食いたかった。
 だから、「うどん」「うどん…」「うどん……」と、
 傍の警察官に何度も頼んだ。

 同じ出来事が、カメラを引いて俯瞰で見るとこうなる。

 1932(昭和7)年2月9日午後7時半ごろ、東京都本郷区駒込追分103、駒本小学校の裏門に着いた自動車から、
民政党公認候補で、故浜口・前首相の親戚、駒井氏が降り、次いで、前蔵相の井上準之助氏(62)が降りて、5、6歩歩いたところ、

2人を取り巻く群衆の中から、若い男が飛び出し、
井上氏の脇の下に短銃を押し当てて撃った。
 駒井氏が音で振り返ると、
男は短銃を、井上氏の腰に当て、さらに2発撃った。

 駒井氏は、若い男の襟首を掴んで投げた。
 地面から起きあがろうとする男を、取り囲む聴衆がステッキなどで殴り、駆けつけた警官たちに引き渡した。

 人々に抱え上げられた井上氏は、苦痛に顔を歪めていた。
 自動車で帝大青山外科に運ばれたが、車が揺れるたびに、
 「痛い」と苦しそうに、2回叫んだ。
 井上氏は、手当の施しようがなく、同8時15分に死去した。

 浜口・前首相へのテロから1年2ヶ月余り後のことだった。

 井上氏は、蔵相時代、経済政策に失敗した。多くの国民が貧困に苦しみ、東北では、娘を遊郭へ売る農家が続出した。

 しかし、井上氏は、
 「百姓の干物は、まだ出来たことがない」
 と、言い放ったと伝えられている。

 「井上は、大分県日田市出身。東大英法科卒業後、日本銀行入行。1919年に日銀総裁になった。浜口内閣で蔵相を務め、金輸出解禁(金本位制への復帰)や緊縮財政をとったが失敗し、世界恐慌のため深刻な不況を招いた」

 これが、井上・元蔵相について、歴史書などに語られる公式の記録だ。

 逮捕され駒込署に連行された若い男は、
茨城県那珂郡平磯町、磯崎新吉の弟、小沼正(21)=写真下
 使った短銃は、ブローニングだった。

血盟団 小沼.jpg
(写真をクリック)

 取り調べで、ブローニングの入手方法を問われた小沼は、
「亡くなった海軍の藤井航空少佐からです」
 と、1ヶ月以上も事実と違う供述を続けた。

 小沼は、茨城県那珂郡平磯町の網元の家に生まれ、高等小学校卒業後、大工見習いになった。その後、上京し、染物屋、カステラ屋など職を転々とした後帰郷、貧しい生活を続ける内に、1930年(昭和5)、親戚の勧めで立正護国堂に通い始めたのだった。

 小沼は、1934年(昭和9)11月22日、東京地裁で、血盟団の他の13被告とともに判決を受けた。殺人罪で無期懲役。
 小菅刑務所に下獄した。

 1934年(昭和9)11月28日、服役中の市ヶ谷刑務所で、高根沢なをさん(当時25歳)と獄中結婚した。獄中では川柳をよく作った。1937年1月、小菅刑務所服役中の作は、

 筆無精(ふでぶしょう)わびた顔せぬ年賀状

 1940年(昭和15)11月3日、明治節の恩赦で、小沼は、故浜口首相を撃った佐郷屋留雄ら102人とともに出所した。
 1953年(昭和28)に右翼運動を再開、「業界公論」という雑誌の社長になった。右翼反体制テロの原型を作った人として注目され、新右翼などに影響を与えた。
 1978年1月17日に胃癌のため東京・新宿の林外科医院で死去した。67歳だった。

 風貌のいい人だったが、目つきが凄かった、という。

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三太楼破門 弱った師弟を喰らうハイエナども

2006年05月24日

 柳家権太楼(59)が、真打になって4年8ヶ月の総領弟子、前・柳家三太楼(41)を今月6日、破門にしちゃった問題をとらえて、

インターネット上に意見を互いに書き込む井戸端会議、
すなわちチャットで、
匿名のハイエナどもが、暴力的な言葉を駆使して、弱った2人の名誉を踏みにじり、喰らい続けている=写真下

力スレッド essay.jpg
(写真をクリック)

 24日昼過ぎには、
「畠山太郎(前・柳家三太楼の本名)の復帰を阻止するスレ」と名付けられたコーナーが、
「伝統芸能@2ch 掲示板」に登場、
前・柳家三太楼への、新たな罵倒が始まった。

「落語始まって以来のクズだな。
 小さん師匠が泣いてるぞ」
「死して屍、拾う者なし。
 カラスにでも喰ってもらえ!」
「2度と寄席に近づくな!!」

「ボロ屑のような家に居たのは老いた母親一人我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに「息子が申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。我々はこの時初めて>1を許そうと思った。誰が悪い訳ではない、農村の貧しさが全て悪かったのだ」

「柳家の看板汚し。最低こいつ」

 前・柳家三太楼の新たなスレッド(コーナー)には、群馬県を馬鹿にしたり、前・三太楼に罵倒を浴びせるなど、書きたい放題。これ以上ないほどの醜い言葉が行きかっている。

 同じ「伝統芸能@2ch 掲示板」の、柳家権太楼のスレッドもひどい。 こんな感じだ。(以下は、投書からの引用)

Gon本(柳家権太楼本人)の前座時代の
先代馬の助にたいする態度知ったら、
因果応報と思う。

権太楼…三太楼があぁなってしまったので、かなり精神的に参ってしまっている。
戻ってくるのを待っていたのだが、 遂に三太楼の退会を協会が正式に受理。
理事会にも色々と相談を持ち掛けたりしたのだが、
「だが最終的に破門したのは師匠であるお前だろう?」と逆に非難を集中放火的に浴びてしまった。

権とおかみさんがだまってればこんなことなんなかったんだよ。いやな夫婦。

権太楼、
 週刊ポストが、本当に勝手に書いたなら、名誉毀損で告訴しなさい。告訴したら、あなたの言ってる、「週刊誌が勝手に書いた」て言い分、信用する。それが出来ないなら、やはり、あなたは嘘つきだ。

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(写真をクリック)

 チャットでは、発言者たちが、イーメールアドレスをインターネット上に表示する義務はなく、どこの誰が発言したのか、画面を読む側の人々からはキャッチできない仕組み。

 このため、発言者たちは、職場の上司・同僚や友人、家族、隣り近所の人々などの視線、
 つまり羞恥心を呼び起こし、心にブレーキをかける存在を、意識する必要はなく、何気兼ねなく、ありったけの憎悪やむきだしのエゴを、チャット上にぶちまけ、書かれた人々を傷つけて平然としていられる。

 小さくて暗い自分の部屋からね。
 きっと、目が闇にキラッと光ったりなんかするんだろうな。

 チャット上で、一部の発言者たちは、
物陰に隠れて、密かに、ライフル銃で罪のない他者を狙い撃って快感を感じているかのように見える。
 そして、恥じ入って赤面し、後悔する、ということのない、
卑劣きわまる人間のクズ、
狙撃者に変身し続けている。

 チャットへの人権蹂躙の書き込みを通じて、己の心を、無意識のうちに果てしなく汚し続けていることに、
発言者たちは、どうも、気づいていないらしいのだ。

 匿名性の陰に隠れて安心し、
罵詈雑言を吐いて、自分の人間性を腐臭の漂う廃棄物処理場のように汚してしまうのは、いい加減によしたらどうだ?
と、提案したいんだが、やっぱ、ダメか?

 「伝統芸能@2ch 掲示板」の、

 柳家権太楼と、前・柳家三太楼のスレッド(コーナー)に集う、
汚れのひどい、ハイエナ諸君よ!

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志ん朝と談志 俺の…   志ん朝篇

2006年05月22日

 志ん朝は、体をこころもち右側、つまりおれの方へ向け、おれに語りかけはじめたように見えた。袴に黒紋付きを着ているせいで、顔が若々しく引き締まって見える。

「最近はどーも油断がなりませんなぁ。志ん朝さん、飲みに行きましょうって誘われて、おや粋なお客さんだねぇ、へいどうもありがとうございますってーんで、にこにこしてついて行くとぅ…、お開きん時にワリカンなんてえ恐ろしいことになっちゃう。ねぇ……」

「おれの高座が終わるまでは帰さねえ」
ってえ、気迫がびんびん来て、

 俺は、釣り人のでっかい魚鉤で、肩んところをグサッと引っかけられた水際の魚のような気分になっちまって、
左の座席上のバッグに物を仕舞う、帰り支度の手を止めて、志ん朝に向き直っちまったんだった。志ん朝は、話してる最中におれが帰ろうとしてることを、つかんだんだね。高座の上から。

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故古今亭志ん朝
(写真をクリック)

 あれは、1992年。
4月ごろじゃなかったか。
 新宿末広亭の昼席だった。平日の4時過ぎだったせいか、客席は2割ぐらいの入り。
 おれは、4時半に、新宿3丁目交差点の伊勢丹の角で人に会う約束をしてて、時間を潰すために末広亭に入り、左列の座席の前から5列目ぐらいに座っていたのだった。

 志ん朝は、おれの方へ向けて、ぽんぽんぽーんと畳みかけるような感じで語り続ける。立つわけにゃいかなかった。志ん朝にすまねえな、立ったら、と思っちまって。
 古典だったが、何の話だったか覚えちゃいない。帰心にせかれてるのに志ん朝につかまっちゃって、まともに聴いちゃいなかったからだ。

 志ん朝は、やがて語り終えると、客席に辞儀をするや、さっと風を巻くように、羽織を引いて楽屋に去った。
 去り際のその鮮やかさが、いまも目に残っている。

 もうひとつは、死ぬ年の2001年のたしか4月上席の夜席。池袋演芸場だ。
 直前に、文科大臣ナントカ奨励賞をもらったのを記念してやった芝居だった。おれは10夜のうち5夜行った。
 100席弱の池袋演芸場は、連夜超満員。通路までぎっしりと客が座ってた。おれは、仕事を終えてから行ったんで、もちろん通路に座った。
 1番印象深かったのは、「付き馬」、その次に「船徳」。後は覚えちゃいない。

 しかし、今思うと、
「志ん朝と同時代を生きる幸せ」なんてぇ、
漱石が、三代目小さんを褒めて小説「三四郎」ン中で書いたような、脳天気な賞賛は出来ない気がするんだなぁ。

 なぜかってーと、
 志ん朝は、客を信じてなかった。
 聴いてて、それが伝わって来た。

 例えば、「付き馬」では、昔の吉原のシステム、そして金が払えなくなった客から金を回収するために、翌朝、女郎屋の主人がギウタロウを客につけて家まで送って行くなんてーことを手に取るように説明した。

 この説明が、やっぱ平板で退屈で、白けちゃった。
 視点を変えれば、客に迎合してたってぇことになるんじゃないか。

 その点、とうちゃんの志ん生は、説明をはしょってる。
 わかんねー奴ぁ、置いてくゾってぇ、気概があった。
 CDを聴いてみると、「付き馬」にしても「柳田格之進」にしても、とうちゃんの方が10分から15分は短い。

 説明は退屈だから、いらねーんだよう、ってぇ、
きっぱりした心の姿が見えるんだよね。

 志ん生が高座に上がった時代は、まあ、1966年ぐらいまでで、吉原にしてもなんにしても、古い仕組みを知ってる人がたくさんいたわけで、
とうちゃんの方が、時代に味方されてたんだがね。

 おれにとっての志ん朝といえば、
1992年のあの時の姿だ。
「俺の高座じゃぁ、客は帰さねえ」ってえ、あの気迫が、
おれの心に、温かい余韻として残ってる。
 プロの神髄を見たんだなあ。


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テロル 一人一殺 始末    壱

2006年05月20日

 1930(昭和5)年11月14日朝、東京駅。
 特急「つばめ」が午前9時に発車するプラットフォームは、乗客や見送りの人々で混雑していた。
 8時58分、左側に2人、右側に1人の護衛に守られ、「つばめ」脇を歩いてきたダークスーツの男が、

 ボッという低い音がして、立ちすくんだ。
 両腕で腹部を強く押さえ、両目をつむる。顔色が白くなり、倒れかかる。傍にいた男が抱きとめた。

 フラッシュの音、と誰もが思った。
 カメラマンが、撮影のためマグネシウムの粉を燃やし、フラッシュを焚いたと思ったのだ。

 3b前方に、木綿茶縞の羽織に袴をはいた小男が、何かを構えていた。
 拳銃だった。薄く煙が出ていた。この男が撃ったのだ。

 列車の下に潜り込もうとする男の、
 拳銃をもつ右腕に、護衛の1人が抱きつく。2人が雑踏から飛び出して左腕を捕らえ、組み敷き、手首と足に無数の真っ白な捕縄をかけた。

 撃たれた男は、フォームに崩れるように座り込む。
 特急「つばめ」6両目、1等車の5b手前だった。

 撃たれたのは、浜口雄幸首相(60)。
 顔立ちからライオン首相とあだ名されていた民政党の政治家だ。重厚、誠実な人柄で信望を集めていた、という。

 「男子の本懐である。時間は何時だ?」
 と、浜口は、応急手当をした丸の内鉄道病院の医師に聴いた。

浜口 顔.jpg
(浜口雄幸)

 浜口のへそ下1aのあたりに、人差し指大の穴が開いていた。東大病院での手術で開腹されると、体内には血液があふれていた。
 佐郷屋の撃ったモーゼル6連発短銃の弾丸(直径7_、長さ12_)は、腹部に入った後、小腸、結腸など7カ所を貫いて左臀部骨盤の股関節の中で留まっていて、摘出できなかった。

 小腸52aが切除された。
 浜口は、いったんは回復し、公務に戻ったが、回復は思わしくなく、9ヶ月余り後の翌1931年8月26日に死去した。

 襲ったのは右翼「愛国社」社員、佐郷屋留雄(23)。

 「一人一殺」
 の鮮烈なコピーで衝撃を与えた「血盟団事件」、海軍軍人らによる「5.15事件」、陸軍軍人らの「2.26事件」へとつづく、
 昭和初期のテロルの序幕だった。
 佐郷屋は、身長5尺1寸9分(155a)、体重57`。
 長崎県北松浦郡大島村(当時)出身で芸者をしていた母と土木作業員との間に生まれた。

佐郷屋 顔.jpg
(写真をクリック)

 朝鮮ソウルの小学校を卒業後、満州で暮らし、20歳になって上京、いくつかの右翼団体に出入りし、5ヶ月前の1930年6月に、愛國社員になっていた。
 酒は飲まないが、荒っぽい性質で、29年1月3日と30年8月15日に喧嘩し、傷害罪で有罪になり、3ヶ月の執行猶予中だった。

 警察の調べに対し、佐郷屋は、
 「浜口首相は経済政策に失敗し、統帥権を干犯したからやった」
と供述したが、
 「統帥権とは何か?」と刑事から聴かれると、
 「何だか分からない」と答えた、という。

 時代は米国ウォール街の株価暴落から始まった世界恐慌のまっただ中にあった。
 1930年3月には、株式・商品市場が暴落し、生糸、鉄鋼、農産物などの価格が急落。貿易額は輸出入とも40%以上減少した。
 製糸業などの中小企業が相次いで倒産、銀行が休業し、独占資本に吸収される。三井・三菱・住友・安田・渋沢などの財閥が、工業、金融、商業から農業までをも支配下におさめてゆく。
 政界・財界への不信感が深く広がっていた。

 佐郷屋は、この時には、「血盟団」との深いつながりはなかったらしい。
 だが、腐敗した政財界への憤りという、共通する気分の中にあった。
 憤りを、知らぬうちに分かち合っていたのだった。

 殺人未遂罪で起訴され、死刑判決を受けた。後に減刑されて出所。
 戦後は、全国のおもな右翼団体40を中心に120余団体に呼びかけて1959年、全愛会議を結成し、右翼の大立者になった。右翼団体「護国団」の副団長になり、60年安保でも動いた。
 恐喝や、暴力行為などでたびたび逮捕され、1972年4月、肝硬変のため死去した。65歳だった。


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権太楼は,社会的責任を果たせ

2006年05月14日

三太楼.jpg

柳家三太楼(41)=写真上=という、真打になって4年8ヶ月の噺家が今月6日、破門になっちゃった。師匠の柳家権太楼(59)=写真下=が決めたんだそうだが、

権太楼.jpg

 権太楼からも、三太楼からも的確な説明がないまま、先月発行の「週刊ポスト」に、「権太楼が三太楼に殴られた」なんてー記事が出たもんだから、落語ファンはもー興味津々、

 「酒乱の三太楼が、ガラスの灰皿で権太楼を殴ったもんだから、権太楼は血だらけになって助けを求めた。3月20日ごろのことだ」

 なんてーところまで、おぞましく膨らんじゃってる。とどまるところを知らない。
 例えば、ウェブの「伝統芸能@2ch 掲示板」なんかでね。

 師匠で、落語協会理事の権太楼が、
 自分のウェブ(http://www.web-gon.com/)の、
公式掲示板にファンが書き込む質問を、具合が悪いってーんで、消去しちゃったりして、まともに答えていないせいでしょう。

 だめだよ、ゴンタローさん。そんなこっちゃ。
 社会的責任をキッパリと果たさなくっちゃ。噺家にもあるんだぜ、社会的責任が。

 落語会に、いっつも客、集めてんでしょ。
 オイラも客の一人だったけどさ。
 噺家は、客の心の奥深ーくに住み着くこともあるんだぜ。噺の魅力と、噺家のおかしさで。噺家は、社会的存在として意外と大きいんだ。

 反応見てると、あなたも、三太楼もたくさんの人の心に住んでるんだよ。で、みんな気にしちゃってて、2chの書き込みがあんなになっちゃうんだ。

 事実経過を、ゴンさんの掲示板に冷静的確に書いて説明してくれないかなー。
 いまのままじゃ、あなたの独演会や、日曜勉強会はおろか、寄席の定席へも行く気になんない。
 もう1ヶ月近く行ってない。

 三太楼破門ってえひっかかりが、のどのあたりにいつまでも留まって、
 権太楼のイメージが暗くなる。
 みんな笑えなくなっちゃうよ。やがて。

 三太楼の入門は1988年だから、師匠権太楼に18年も付いてきたわけだねー。

 ウェブの「伝統芸能@2ch 掲示板」には、「権太楼」のスレッドに4月2日から5月13日まで480件、「三太楼」のスレッドに4月7日から5月13日まで780件の書き込みがある。
 すごいもんだねー。

 8日のあなたの掲示板の書き込みだけじゃたんないよ、 ゴンタローさん。
 念のため、下に掲示しておきますが。

柳家三太楼の件
No.834 柳家権太楼 | 2006年05月08日(月) 23時31分 | 61.24.214.216 [返信する]
ながい間ご心配をおかけしましたが、話し合いの上、次のように結着しました。

柳家権太楼門下、柳家三太楼を5月6日付けで破門とします。
1、師弟関係が壊れたこと
2、本人が落語に対する情熱を失い、噺家を続けていけないと判断したこと
この2点に於いて、我が一門から破門ということになりました。
従って、(社)落語協会は退会、「柳家三太楼」の名も返してもらうこととなります。

この1ヶ月余りの間、いろいろ考え、本人の気持ちの落ち着くのを待っていたつもりでしたが、このような結果になり、本当に残念な思いです。
長い間応援してくださった皆様には、まことに申し訳ありません。
様々なご意見がおありでしょうが、これが柳家権太楼として出した結論ということをご理解いただきたいと思っております。


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石田依良さんは、幇間(たいこ)なのか?

2006年05月12日

 石田依良という作家が、昨夜(5月11日)、
10チャンネルの「報道ステーション」という番組に出てきて、

 「村上ファンドが本社をシンガポールへ移すなんてことはとうてい許せない。日本で勝負すべきだ。こんなことは、もしもアメリカ人経営者がしたら、アメリカ人だって許さないですよ」

と、独特なプロレス中継で有名になった「正義派」キャスターの問いかけに答えて言うのが、聞こえてきた。
 
俺はその時、パソコンに向かっていたのだが、
イスから立ち上がって、テレビの前に移動して画面を見た。
びっくりしたんです。

 石田さんは、白いジャケットで、さわやかな空気を放って話していた。
 「あなた、作家はその程度でいいの? 作家の看板、おろした方がいいんじゃないですか?」
 と、わたしは、思わず心でつぶやいていました。

ラ宗門 赤と黄.jpg
(写真をクリック)

 ニュースによると、なんでも、

 「六本木ヒルズ」族の1人でもあるらしい、村上さんは、今年初めから、坪500万円はする都心に、総工費約10億円の家を新築中だが、
 それを中断するかやめるかして、シンガポールへ移住するんだそうです。

 で、石田さんは、その移住が気に入らないらしかった。

 わたしが、石田さんのコメントに引っかかったのは、

 「作家」の看板を掲げるのなら、
 想像力と思考力の触針を、もっと深く延ばし、
 鋭敏に、多角的に考えなくっちゃいけないよ、

 と、思ったせいです。

 1兆円もの資金が投資家から集まっているといわれる「村上ファンド」の本社を、東京からシンガポールへ村上氏が移すというのは、

 利益を求めて、変幻自在にいつも自律運動を続ける、
資本、すなわちお金の本質的な性格に沿って、
村上氏が決めたのでしょう。
 海外に移った方が有利なんでしょう。

 より大きい利益を求めて、お金は国境を自在に越えるのです。
 そして、利益を上げるのに忠実であることは、
 会社を運営するものの最大のつとめでしょう。
 ただそれだけのことです。

 経営者のイロハだと思います。

 村上氏が、本社を海外に移すことに決めた原因としては、
ほかに、

 「ライブドア」の堀江前社長を、
 逮捕させて、この会社を、実質的に日本からデリート(消去)してしまった、
 日本という、この特殊なシステムへの見切りがあるのかも知れません。

 たぶん、こっちが本当の原因なのでしょう。
 村上氏にとっては、
 日本社会が、利益を生むための、最大の障害に見えるのではないでしょうか。

 そんな簡単なことにも想像力を使わず、

 古くさい「日本」という国境にこだわり、さも、自分の方に「正義」があるかのような顔をする、
 石田依良という作家は、

 頭がとても古い、
 と思いました。

 「作家」を名乗るのなら、村上さんの立場をもっと深く考えなくっちゃいけません。

 そして、ゴマ摺っちゃいけない。
 日本システムという、権威権力に。
 
紫花.jpg
(写真をクリック)

 この人の作品は、ひとつも読んだことはありませんが、
 読まなくとも面白くないことは分かります。
 このテレビ発言ひとつで。

 インターネットで調べると、
 石田という人は、2003年に、「4teen」という作品で、直木賞を取ったんだそうです。

 直木賞を取っているんだから、一部の読者が喜ぶような、物語は書けるのでしょうが、
 心を揺すぶって、読者の考え方に変更を迫るような、
深い物語は、書けないでしょうね。

 石田さんは、「作家」という肩書きから、いつまでも、カッコ(「」)が取れないでしょう。
 
 石田氏の反論を聴いてみたいものです。
 
 インターネットで、調べたら、
 石田さんについて、以下のような感想が書かれたsiteが見つかりました。原文のまま引用させていただきます。

          ◇    ◇    ◇

「石田依良いわく最近の大人の日本人男性はだめな人ばっかりで女性はかわいそうなんだそうです。理由は忙しさにかまけて本も読まない、映画も見ない、音楽も聴かないからだそうです。忙しくない人もそうらしい。でもこれらを満たしていると本当に魅力的な人間(男性?)になるの?なんかピンとこないです。
人間形成ってそんな単純なものなの?だったら山崎邦正ってめちゃめちゃ魅力的な男ってことになります。一方島田伸介は石田氏がだめ出ししている男性そのものです。
石田の意見に賛成の人、反対の人の熱い意見が聞きたいです。20は確実に開きますのでよろしくお願いします。」


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ついでに、森さんのことも書こう

2006年05月09日

 クリントン・米国大統領との会談を前に、首相の森さんは、英語の簡単な挨拶を秘書官に教わりました。2000年7月下旬にあった九州・沖縄サミット前のことです。

 「最初は、How are you?」
 首相の方から、「ご機嫌いかが?」と聴きます。
 するとクリントンは、「Fine thank you,and you?」、
 つまり、「私は元気です。あなたはどうですか?」と聴いて来ますから、
 そこで、
 「Me too.」、「私も元気です」と、にこやかに答えてください。

 「何だ、それだけでいいのか? 簡単だなー」
 と、森さんは、秘書官がくれた、その挨拶文が印刷された紙をじっと見て、ぶつぶつ復唱しながら公邸に消えました。

 さて、会談の日。
 予習十分で自信満々の森さんは、満面に笑みを現して意欲満々で言いました。
 「Who are you?」(あなた、誰?)
 あ、ジョークだな、と誤解したクリントンは、微笑んで俊敏に切り返しました。
 「I’m Hillary’s husband.」(ヒラリーの夫です)
 森さん、すかさず、満面の笑みで答えました。
 「Me too.」(おれもだよ)
 
 森さんが、ジョークで、クリントンを圧倒した一瞬でした。無意識の内に。こりゃ、森さんの勝ちだ。

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(写真をクリック)

 前首相で、森派会長の森喜朗さん(68)が、
 “日本人政治家には希な、ユーモア精神の持ち主”と、
 日本に住む外国人たちに人気があるの、
 あーた、ご存知ですか?

 ボストン出身で、埼玉県大宮市在住のアシュレイ君(25)も、この間、
 「本当言うと、ボクも、嫌いじゃないよ」って、薄笑いして言いました。

 森さん、「How are you?」(ご機嫌いかが?)の「How」を、間違えて
 「Who」にしちゃい,

 「Who are you?」(あんた、誰?)と聴いて、図らずも、もの凄いジョークを飛ばし、
 クリントンを破壊しちゃった訳ですね。

 だって、米国大統領との一世一代の会見で、相手が誰か分かっていないはずないんですから。

 ほかにもあります。

 東京・秋葉原の電気街を訪れた時、
 米国マッキントッシュ社製のパソコンの初代iMacを指さして、
 「このテレビみたいのが、ワープロか?」と聴いた。

 「IT革命」のことを、いつまでも
 「イット革命」と呼んでいた。
 「IT革命」は、「インターネットかくめい」と読みます。

 「えひめ丸」事件の時は、事件の報告があった後でも、ゴルフ場でゴルフを続けたことが問題の焦点だったんだが、
 「掛け金(ゴルフの)は、チョコレート程度だ」と、言い訳し、「掛けゴルフ」だったことを自ら認めた。

 2000年5月2日、イタリア訪問の時、地元チーム「ペルージャ」でプレーしていた中田英寿らと会食、
 「サッカー日本代表はアウェーで韓国に勝ったことがないんだよ」と言ったら、中田に、
 「え? ありますよ」とすぐに訂正された。
 その後、中田は、森と2人での写真撮影を断った。

 2000年5月14日のNHK日曜討論で、坂田道太・元衆院議長が生きていたのに、
 「亡くなられた坂田さん」と、言った。

 その翌日には、神道政治連盟国会議員懇談会結成30周年記念祝賀会でのスピーチで、
 「日本の国、まさに天皇を中心にしている神の国であるぞということを国民のみなさんにしっかりと承知していただく」
と発言し、問題化した。
 
 2000年6月20日には、衆院選の選挙演説で、
 「まだ(投票態度を)決めていない人が40%ぐらいいる。最後の2日間にどういう投票行動をするか。そのまま、その人たちが関心がないといって寝ていてくれればいいが、そうもいかないでしょうね」
 と皮肉をいい、大きな問題になった。

 クリントンが登場する話は、本にも書かれ多くの人が知っているアネクドート(政治風刺小話)で、
 韓国ビジネスマンの間にはやった、元韓国大統領・金泳三と、クリントンが登場する小話が発展してこうなった、とか、
 作者は台湾の人で、元の小話の登場人物は、アジアのある国の元大統領とクリントンだったという説もあり、
 森さんが本当にそういったのかどうか、はっきりしません。

 しかし、森の本質と見られる、脇の甘さ、無意識過剰を、
これほど的確に物語る小話がほかにないため、
人々に歓迎されているのでしょう。

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(写真をクリック)

 森喜朗(68)氏が、2001年4月26日、1年と21日つとめた内閣総理大臣を辞職する間際、
支持率は5.7%と驚異的な低さでした。

 一方、この後に登場した小泉純一郎総理(64)の支持率は、2001年5月27日に93%(TV朝日調べ)に跳ね上がり、史上最高でした。9月に辞職するのが分かっているのに、いまでも、小泉さんへの支持率は4割を超えていて、小泉人気が続いています。

 森さんが、数々の失言や愚かな行いで、政治に対する深い絶望感を国民に与えた結果、次の小泉さんに、過剰過ぎるくらいな期待を抱かせてしまったのは間違いないと思われます。

 公表されている記録によると、
 森さんは、身長175a、体重103`。
 早稲田大学第二商学部(夜間)卒。
大飯食らいで、毎晩のように高級料亭に行く。
 1人10万円以上、いや20万円ぐらいするんですよ。例えば、銀座の吉兆(きっちょう)。

 これに対し、小泉さんは、169a、60`。
 慶応大学経済学部卒。短いながらロンドン留学の経験あり。
 オペラや歌舞伎に造詣があるようだ。
 親しい議員がゴマすって贈り物を届けると、送料相手もちで送り返すんだってさ。ホントかどうか分からないけど。

 違いが際立つじゃありませんか。

 小泉さんの「郵政民営化」に、森さんは、当時強く反対し、マスコミでも大きく報道されました。この後で、

 「あの森が反対しているんだから、
もしかしたら、郵政民営化は、正しいことなんじゃないか?」
 という、迷いを国民の心に引き起こし、
 結果的に、「郵政民営化」支持の気分を国民の心に植え付けるということもあったんじゃないか、
 と私は思っています。

 森さんは、政治での、そういう、高度な働きを、
無意識のうちに、小泉内閣で果たしました。
 結果として。

 大江健三郎さんなら、森さんを「トリックスター(trickstar)」と呼ぶでしょう。
 トリックスターとは、詐欺師・ペテン師。
 社会の道徳・秩序を乱すけれども、周りを元気づける役割をもつ人物のことを指します。神話やなんかに登場します。大江さんも小説に意識的に登場させ、大事な役割を果たさせています。

 森さんは、政界で最大のトリックスターではないでしょうか。

 自民党最大派閥、森派の、小泉さんと福田さんを、
前回、前々回などで書きましたから、ついでに、森さんのことも書いてみました。
 ついでです。

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福田さんです。次の総理は。

2006年05月07日

 福田でしょう。次の自民党総裁は。
 で、内閣総理大臣になるでしょう。福田が。

 自民党国会議員の大多数を握る派閥領袖たちと、自民党の大スポンサー、財界の総意が描くシナリオは、福田です。
 ま、シナリオ通りに行くかどうかは分かりませんが。

 狙いは、福田・新総理によって、小泉がつくったアジア外交の今の流れを絶ち、中国・韓国との関係を修復しようってえんですね。
 この結果、北朝鮮による日本人拉致問題解決への内圧は弱くなります。

ラ宗門 玄関.jpg
(写真をクリック)

 靖国神社参拝に固執する小泉は、変だよね。
 1931年の満州事変をはじめとする、中国侵略。その結果として生じた、現地での中国人虐殺などの暴虐行為を、歴代首相が襟を正して、実質的に謝罪しつづけ、莫大な経済援助を続けて、その謝罪の実を積み上げてきたのに、
小泉は、靖国神社参拝を強行することによって、これをいっきにチャラにしちゃったんだ。

 歴代首相が積み上げた謝罪と、謝罪の実、つまり、経済援助は、俺たち国民が支払った税金を、気の遠くなるほどたくさん使ってやってきたんだぜ。
 軽はずみな小泉は、その莫大な国庫支出、国民の金を、愚かな自己判断で、リセットしちゃったんだ。

 反省の心が本当であることを相手に分かってもらうには、行動で誠実に示すしか方法はないでしょう。
 私人間であれ、国家間であれ。

 中国は、日本政府の行動を見ることによってしか、日本政府の心を推し量ることはできないんだ。

 ところが、「A級戦犯」を合祀し、大東亜戦争大肯定の記念館を持つ、靖国神社へ、国民代表の小泉が参拝することは、
靖国神社の立場を支持することを意味する。

 言ってることとやってることが違う、信じられないっ!
 ってえことになるんですよ。国際政治の現実では。

 戦死者への敬意は結構です。大事なことです。
 しかしそれは、私人小泉の私的感情でしょう。
 総理大臣は、1日24時間、総理大臣で、私人に帰って参拝するなんてー器用な使い分けは、出来ない仕組みになってんだ。

 甘っちょろい日本人は誤魔化せても、外国人は誤魔化せないんだよ。

 あっしは、中国は好きじゃありません。念のため。東シナ海での、中国の勝手な振る舞いには腹を立てています。

 靖国神社は明治以降、日本が戦争に勝ち続けるため、国民を戦闘精神満々の精強な兵に仕立て上げるための道具でした。

 戦死したら靖国神社に祭られるんだ、という共同幻想を国家が用意して、闘いに出かける兵の心に一種の着地点を与えようとしたんでしょう。
 それが成功したのか、しなかったのか、あっしは知りません。

 しかし、1978年に、東条をはじめとした、いわゆる「A級戦犯」7人を、神社がこっそりと合祀して以後は、なんだかとても嫌な感じですね。神社内にある、ナントカ記念館は、「大東亜戦争」肯定で貫かれてるそうじゃありませんか。
 俺は、東京裁判は、アメリカやなんか勝者たちによる一方的な裁判だった。公正なものじゃなかった、と考えています。これも念のため。

 小泉が、なぜこうも靖国参拝にこだわるのか、私見を述べましょう。
 ひとつは、多くの専門家たちが指摘しているように、
自民党総裁選の際、支持を広げるために、遺族会にした、
総理としての公式参拝実行の公約。
 小泉は、総理大臣になる前は、靖国参拝には熱心じゃなくて、ほとんど行ってなかったんでしょう。

 もうひとつは、田中派への根深い反感、いや怨念ですね。
 ご存知のように、日中関係は、1972年に、総理の田中角栄さんが日中国交正常化への道を開いて以来、田中派の独壇場で、日中利権も田中派が独占してきました。

 小泉は、3年間だったっけ?
 最初の選挙に落選した後、福田赳夫・元総理の下足番やなんかしました。 福田が立った自民党総裁選で、福田が、田中派の金力に敗れると、人目もはばからず悔し泣きしたんです。
 かつてグラマン疑惑で注目され落選した、元自民党衆院議員の、あの、年甲斐もなくニヤけた熊本出身のジイさん(名前は忘れた)が目撃したそうです。
 加藤、山崎と組んだ「YKK」ってえ連携も、田中派支配と闘うのが主目的だったんでしょう?

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小泉は、オペラや歌舞伎やなんかが好きで、いいもの、美への感受性は他の政治家たちよりもましなんでしょう? 鋭敏なだけに、逆に、このように、国家間の問題にも、敏感、感情的に反応しちゃうんでしょうね。

 子供だねえ。
 もっとおとなになれっ!

 あ、もう遅いってか?


posted by Jiraux at 21:54 | Comment(6) | TrackBack(0) | news 日々憤怒

兵士や政治家は、国民を守らない

2006年05月05日

 戦場で、兵士たちは、自国民に対し、
残虐な敵へと変身します。

 武器ももたず無防備で逃げ回る自国民を守りません。
 それどころか、
自分たちが生き抜くために、
「継戦能力維持」、つまり、敵と戦い続ける能力を保つため、などを言い訳にして、ビルの地下など、もの陰に隠れる市民たちを、
「足手まといだ。戦闘の邪魔になる」と決め付け、
手榴弾を与えて、集団自決や、泣く赤ちゃんを殺すことを命じたりします。

 日本人全体の勝利のためには、戦場で兵士たちの邪魔になる一部少数の日本人は、犠牲になってもしかたがない、という、手前勝手な理屈ですね。

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(写真をクリック)

 この理屈、正しいと思います?
 思う人、手え上げて。
 誰だってこの場合の「一部少数」になる可能性があるんだよね。

 この状況。兵士たちが、自国民を、本当に「日本人全体の勝利のため」の戦闘の障害になる、と思っているのか?
 それとも、本当は、自分たちが生き抜きたいために、「日本人全体の勝利」を大義名分にして、戦場を逃げ惑って兵士たちを危険にさらす日本人たちを殺そうとしているのか分かりません。

 わたしは、後者をとります。
 人間の利己心とは、そうしたものでしょう。
 とくに、法の支配はなく、命が一瞬で消える極限状況の戦場では。
 武器をもってる奴は、戦場では最強の支配者だからねー。

 もちろん例外はいつもあります。
 正しくあろうとする、心根のやさしい真の兵士はいるに違いありません。

 1945年3月末から6月23日までの沖縄の戦場では、
手榴弾での集団自決や、濠の中での赤ちゃん殺し強要など、日本人兵士たちによる残虐な行いがたくさんあったと報告されています。体験者たちもたくさん生きています。
 戦場で、兵士が「防人」という正義の貌をかなぐり捨てて、どれほど醜いエゴの姿をさらしたかの実例がたくさん記録されているのです。

 政治家たちも同じです。
 在沖縄米海兵隊8000人のグアム島引っ越しと、その代わりのようにして、米陸軍第一軍団司令部(「統合作戦司令部」に改編)の兵士20000人がキャンプ座間(神奈川)に引っ越してくるなどの、「米軍再配置」のために、

 日本政府が3兆円を支払う「在日米軍再編最終合意」を1日、ワシントンの米国務省であった日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、
米国との間で取り決めた外務大臣の麻生や、防衛庁長官の額賀、それに総理大臣の小泉、政府の役人たちが、

 どれほど日本国民の利益を考えているのか?
 はなはだ疑問です。

 総理大臣になる道を開くために、日米交渉で現職大臣として実績を残す、米国の政府関係者に不快感を与えない、しか頭にないんじゃないですか?
3兆円出そうが、5兆円出そうが、自分の懐とは無関係の国庫からです。
自分たちの腹は痛まない。

 小泉にいたっては、
「アングロサクソン(アメリカ、イギリス)とうまくやっていれば日本は安泰です。歴史が物語ってます」
 が持論の、元大使の岡崎某の指南を、そっくり守っているだけでしょう。

 政治家は、国民の利益など考えません。
 特に、国民のほとんどが権力に弱く、小心翼翼、自己保身を図って必要以上に自己規制し、
 口をつぐんでしまって批判の声も上げられず、
 権力者にしたい放題させてしまう、この日本では。

 そんなことあっちゃいけませんが、何があってもおかしくない世の中になりそうな雲行きですから、日本が戦場になった場合のことなど、ちょっと書いてみました。
 前回、前々回のつづきのココロです。

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東京に核が飛んでくる日

2006年05月03日

 やばいよなー。

 東京に、中国、北朝鮮が、いよいよ核ミサイルの狙いをぴたりと決めちゃうことになりますね。1日の「在日米軍再編最終合意」で。
 日本政府が、ワシントンの米国務省であった日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、俺たちに何の相談もなしに、勝手に合意しちゃったんですよ。

 小泉を無批判に支持して、去年9月、自民党を大勝させて頭に乗せたつけだよなー。
 誰と誰と,誰だっ。
 支持したのは!

犬.JPG
茅ヶ崎の犬。
(写真をクリック)

 この「合意」を実現するための諸法案が、やがて国会で可決されれば、日本本土は、沖縄と同じ要塞の島になります。

 例えば、近い将来、台湾の帰属を巡って、中国と台湾間で戦争が始まって拡大した場合、
 中国の核ミサイルは、東京の横田基地や、神奈川のキャンプ座間、厚木・岩国・三沢基地なんか日本の全基地に、まっさきに飛んでくるんだ。
 米軍と、使いっ走りの自衛隊の、攻撃能力を潰すために。

 戦争になって、こうなるのが確実なことは、沖縄の人々が身に沁みて知っています。
 第二次大戦末期の、1945年3月27日、500隻以上のアメリカ軍の艦隊が、沖縄に押し寄せて、艦砲射撃の「鉄の暴風」で、旧日本軍の基地を徹底的に破壊したからです。

 兵員でもないのに、沖縄の市民は10万人以上が、巻き添えになって、殺されたんです。沖縄県民4人に1人の割合でした。
 首都圏で中国の戦術核が次々爆発したらどうなります?

 10万人じゃすまないでしょう?

 1日の「在日米軍再編最終合意」が、何を意味するかってーと、
 それは、
 日本本土が沖縄と同じ、基地の島になって、
1億2800万人の日本人が、潜在的に、年がら年中、戦争の最前線に置かれることになる、
 ということです。

 ってえのは、
「合意」によれば、
 08年度までに、米陸軍第一軍団司令部が、「統合作戦司令部」に改編されて、神奈川のキャンプ座間に引っ越してくる。兵員数は20000人だそうです。
 米陸軍の司令部のひとつが首都圏におかれるわけです。
 そして、日本の自衛隊と合体する。自衛隊が、実質的に米軍の手足になる。
 戦争が始まれば、ここが米軍の頭脳です。

 だいたいですね。
 外国の軍隊20000人を、日本国内、それも東京のすぐそばに呼び込んで駐留させる「合意」を、平気で成立させて恥じない政治家の神経が信じられない。

 この20000人の米兵は、
 その気になりゃ、ある夜、突然軍事行動を起こして、政府の主要拠点を制圧して、日本を征服するのなんてーのは、朝飯前なんですよ。

 それに、米国に気に入らない政府が日本に出来たときに、ワシントンの指令で、総理大臣やなんかを拘束することだってすぐに出来ます。

 外務大臣の麻生や、防衛庁長官の額賀、それに小泉総理大臣は、
そのあたりのことは、どう考えてんだろうか?

 「君たちは、国を売るのか!」って、
 批判されたって、まともな反論は出来ないでしょう。

 何も考えていないのか?

 右翼はどーした?
 いまこそ、右翼の出番じゃないか。


 この米陸軍第一軍団司令部の、キャンプ座間への引っ越しは、世界各地で起きている対テロ対策強化が大きな狙いのひとつなんだそうですが、

 テロの原因を作ったのは、いったい、どこのどいつなんだ。

 1948年創設のイスラエルに過度に肩入れして、アラブやイスラムの国々を刺激し続けてきた、アメリカじゃないの?
 
 9.11のニューヨーク・世界貿易センターの悲劇は、
 米国が自ら招いた結論で、

 日本は無関係だよ。

 そのアメリカの尻拭いを、日本が、なんでしなけりゃいけないの?
「日米同盟」なんておだてられ、自衛隊を差し出してまでさ。
 理由はなんなんだ?

 日本人の、思慮不足の、小泉支持が、
 いま、
 こうしたきわめて迷惑な不条理を、俺たち日本人に突きつけてきてるんだ。

 在沖縄米海兵隊(兵員8000人)のグアム移転に60億ドル(約7100億円)、在日米軍再編のために200億ドル(2兆3000億円)、計3兆円も払わせられて、その上に、核攻撃の恐怖のおまけってか?

 どうすんだ?
 ニッポンジン!!

 責任者っ!
 出てこいっ。


posted by Jiraux at 00:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | news 日々憤怒

日本は独立国か?

2006年05月02日

 本当のことを言おうか?

 日本政府は、独立国家のような顔をしているけれども、そうじゃない。
 植民地政府なんです。
 アメリカ合衆国の。

 アメリカの51番目の州政府だ、
 ってったっていい。

 ここんとこ、ほれ、その本当の姿があらわになってきてるじゃないすか。
 ブッシュ=小泉の、「史上最も友好な日米関係」なんてえ目くらましにずーっと隠されてて、見えなかった実像がさ。

 例えばです。

 たとえば、
 立ち退きにかかった借家人が、立退き料を請求して来た。

「とんでもねえ。何い、非常識言ってやんでいっ! 畳替えと部屋の修理代に、敷金2つじゃ足りねえ。もっと払えっ!」

 って、家主が怒鳴りだすかと思ったら、さにあらず。

 家主は、借家人の実家まで、もみ手えしながらはるばる行って、立退き料の値下げ交渉してやがる。

 で、
「むこうの言い値から、16%安くした。どーだ?」
 って、さも手柄あ立てたような顔して帰って来る。

 これ、まともですか?
 「それでいいんだ」と納得する人って、
 いないんじゃない?

 こんなの。
 愚鈍ですよ。
 どう見たって。

 この寓話ね、お察しの通り、
 在沖縄米海兵隊(兵員8000人)のグアム移転で、日本政府が支払おうとしてる、60億ドル(約7000億円)と、在日米軍再編のための支払い200億ドル(2兆3000億円)、計3兆円のこってす。

 これ、もちろん俺たちが払った税金から支払われる訳です。
 日本人一人当たり、2万5000円ずつ支払うってえ計算になります。
 赤ちゃんから、114,5歳の最高齢者までです。

 1日、ワシントンである「日米安全保障協議委員会」(2プラス2)で決まるんだそうです。

 日本人に反感をあおらないように、日本政府の顔作りを狙って額が減るんでしょうが、
 減ったとしたってわずかでしょう。

 これまで日本政府は、米軍の日本駐留経費を、「思いやり予算」なんてえ、これも目くらましのやさしげな呼び名で、毎年2300億円以上払い続けてるんですよ。2006年度は、2326億円です。
 
 これほど手厚くやってきてるのに、また払わなけりゃいけないわけ?
 何で?

 ああ、そうか。

「大臣や高級官僚にとってみれば、3兆円は自分の金じゃないからね。懐が痛まないから。なんせ国会議員、諸経費分まで入れれば、一人年収3000万円は行くんでしょう。納税者の痛みに麻痺してるんじゃないの? 特権階級の国会議員は」
 ってか?

 日本が、アメリカの植民地であるという実像をあらわにする実例が、もうひとつありましたね。

 北朝鮮に娘のめぐみさんを拉致されて長く苦しんでいる、横田早紀江さん(70)が、4月27日に、米下院外交委員会の公聴会でやった早期解決への訴えと、翌28日のブッシュ米大統領への直訴です。

ブッシュ.jpg
新聞から。
(写真をクリック)

 こんな痛手と皮肉はなかったな。日本政府にとって。

 願えども願えどもいっこうに解決できぬ日本政府の姿を見て、あきれちゃった拉致被害者家族会は、
 日本国民の本当の政府が、アメリカ政府である事実を悟ったのでしょう。
「日本政府をあてにしたって、時間の無駄だ」ってね。

 苦労を乗りこえつつ闘い続ける人々は、いつも敏感的確に、実相を察知します。

 日本人は、なぜ怒らないんだろうねえ?
 怒ってたら、政府は変わっていたはずだろう。選挙でさ。

 あっ、そうか。
 奴隷根性か。

 今が豊かで、心地よけりゃ、
 それでいいや。

 誇りなんていらない、
 変化は怖い、

 ってえわけだな?


posted by Jiraux at 03:24 | Comment(4) | TrackBack(1) | news 日々憤怒

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